第694話 人の路 蕎麦の路

     

『世界蕎麦文学全集』物語 36

  邪馬台国の女王卑弥呼に会うために倭国を訪れた中国人一団の第一歩は対馬(現在の三根集落遺跡)であった。その記録『魏志倭人伝』では、対馬についてこう述べている。
  ~ 対馬は土地は山が険しく、良い田はなく、海産物を食べて自活し、船に乗って南北に行き、米などを買っている。~ 
    それは2000年ちかく経った現代でも変わっていない。
   『対馬の昔話』でも、対馬は圧倒的に漁業の島。農業は山林を開拓して「木庭」という焼畑形式で、蕎麦・粟・稗・豆などを順に播いたりしていると述べている。 
    実際、島を巡っても、対馬は石の山、石の川、そして石の家や石の塀などが目に付く石の島である。農耕は適さず、漁業、交易を生業としてきたというのはよくわかる。
    しかし、漁撈の対馬人ゆえに手間のかからない簡単な農作物が彼らの目に入っただろうし、漁撈の対馬人ゆえに対馬~釜山約50㎞を運搬することができたのだろう。それが日本の蕎麦の中で最も原種にちかいといわれている「対馬在来種」である。
 現代の対馬在来種の年間生産量は約40トン(平成26年)。農法は、1961年までは焼畑 (「木庭」) だったというが、今はほとんど焼畑は見られない。あるNPOがそのやり方の再現を試み始めているところだと聞いている。

 さっそく、対馬の蕎麦を食した。そのための対馬行である。
  《いりやき蕎麦》=出汁は鶏ガラだった。鶏ガラの鶏は「対馬地鶏」と呼ばれ、鶏の特徴である肉垂がなく、代わりに髭状の羽毛が生えている。そして雄の首には鮮やかな金色の羽毛がある。これらの特徴から「対馬地鶏」は大陸の血を引いた鶏とされている。この鶏の出汁に、砂糖か味醂(その昔は酒だったのだろう)を加え、薄口醤油で汁を作る。
   それに対馬地鶏 (または雉、鴨) の肉、あるいはグレ(メジナ)、ブリ、アラ、マダイなどの魚や、たっぷりの野菜や豆腐や蒟蒻などを入れた〝寄せ鍋〟が郷土料理《いりやき》である。これを食べた後の締めに素麺か、蕎麦を鍋の中に入れて一煮立ちさせるか、単に汁をかけて小葱で食べるのが対馬流だという。こちらの方は食べたことはないが、おそらく出汁の味がよく効いた汁なんだろう。
   この日は「そば道場」という所で、掛け蕎麦風にした《いりやき蕎麦》を頂いた。具材は、対馬地鶏の肉、白菜、葱、蒟蒻、小葱が入っていた。
 ところで、鳥(鶏)出汁ということで思い出すのが、1)中国華北の承徳市で食べた《蕎麦》だった。2)また韓国料理家の崔先生は、朝鮮半島の《冷麺》の昔の汁は雉であったと言う。3)それから私の故郷佐賀市の近辺では最近まで《鳩蕎麦》があった。
   これらからして、中国華北・朝鮮半島・北部九州は《鳥出汁》で蕎麦を食する圏域ではなかったかと思われる。

 中国華北・朝鮮半島・北部九州《赤米》そして《鳥出汁》などの共通するものをもっている。先に「比較することが分かること」と言ったが、「共通因子を見つけることも分かること」ではないだろうか。〝因〟という字は、大事な物を四角い(□)風呂敷で包もうとしているかのように見える。しかもその大事なものとはよく見ると人のようにも見える。つまり大事な共通因子は人が運んでくるということであろうか。 

『世界蕎麦文学全集』
*陳寿『魏志倭人伝』
62.山中耕作・宮本正興『対馬の昔話』(『日本の昔話』24)


文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
写真:《いりやき蕎麦》