第696話 女神・氷高皇女
『世界蕎麦文学全集』物語38
☆氷高皇女
霍公鳥 なほも鳴かなむ 本つ人 かけつつもとな 我(ア)を音(ネ)し泣くも (氷高皇女)
日本蕎麦史のなかで「蕎麦の女神」とよばれる人がいる。元正天皇である。詔で蕎麦栽培を命じたからそうよばれている。
この氷高皇女という人は天武天皇の孫、つまり草壁王子(父)と元明天皇(母)の皇女であるから抜群の血統の良さを誇り、おまけに生涯独身。さらには『続日本紀』には「見識が奥深く落ち着いておられ、そのお言葉は必ず礼法に叶っておられた」と他の天皇を抜きんじた賛辞ぶりである。
ところで冒頭の歌であるが、こう読める。
~ ほととぎす(霍公鳥)よ もっと鳴いておくれ 去年も来て鳴いてくれた懐かしい鳥よ おまえをこんなに心にかけているのに 一声だけで去ってしまって 私を泣かせるなんて 酷いじゃないの。~
そこで、美しく、聡明で、独身の皇女を泣かせるのは誰だ? というわけで、彼女は多くの小説や漫画にとり上げられてきた。たとえば永井路子『美貌の女帝』、三枝和子『女帝氷高皇女』、里中満智子『天上の虹』『長屋王残照記』など。ただ残念なことに、われわれが知りたい蕎麦栽培の詔についてはどなたも触れられていない。じゃあ、自分で書いてみようかということで手掛けたのが『蕎麦を愛した氷高皇女』である。もちろん未熟で、拙く、小説にならない小説である。それでも書くとなると物語を想像する前に背景などをしっかり調べなければならない。
それで先ずは皇女に会いに行こうということで奈保山西陵を訪れてみた。近鉄奈良駅からバスに乗る。10~20分ぐいしてバス停で下り、脇道を入ると辺りは広い森。そこが御陵であった。どうしても御陵の前に佇んでみたかったわけだ。
それから、彼女の代の業績を押さえる必要がある。
すなわち、715年天皇即位、藤原不比等らが『養老律令』を撰修、隼人反乱に際し大伴旅人を九州に派遣、舎人親王らにより『日本書紀』が撰進、不比等が亡くなると舎人親王、長屋王、藤原房前らが女帝を支え、722年に蕎麦栽培の詔を発し、724年に首皇太子に譲位したということになる。
それらから藤原不比等、大伴旅人、舎人親王、長屋王、藤原房前、首皇太子らはどういう人物か?を自分なりの像としてつかんでおかなければなない。そして即位式(大嘗祭☆)、『養老律令』、隼人反乱、『日本書紀』、蕎麦栽培の詔とはどういうものか? を知ってなければ物語の想像はできない。ただそれらを掴んだからといって全部利用するわけではない。むしろほとんど使わない。だけど理解していなければ進まない。
でも、このことが蕎麦史全体の理解につながるから、実に楽しい。
☆蕎麦
その中の一つが「蕎麦」という字であった。
いうまでもなく、日本史で「蕎麦」の字が最初めて記載されている史料は『続日本紀』の元正天皇の養老六年七月十九日の記事であることは蕎麦関係者ならご存知であろう。
それによると、元正天皇が天下国司に対してこう宜令した。
「勧課百姓、種樹晩禾・喬麦及大小麦、蔵置儲積、以備年荒。」
百姓に勧めて割当てて、晩稲・蕎麦・大麦・小麦を植えさせ、その収穫を備蓄し、凶年に備えさせよ、というわけである。
そう、8世紀ごろの日本では「蕎麦」ではなく「喬麦」を使っているのである。誤字ではないかと言う人もいるが、そうではない。
なぜかというと、中国で「蕎麦」の字の誕生由来として、蕎麦は約75日で成長して高く伸びるというところから、喬(タカシ)という字があてられ、それに草冠を付けて「蕎麦」という字になったというのが定説である。しかし「喬」⇒「蕎」の変化には時間軸があるだろうから、暫くは「喬麦」も「蕎麦」も両方通じていた時期があったのではないかと思う。その証拠がこの『続日本紀』であると私は考える。
この字を遣唐使たちは荒れ狂う海を渡ってわが国に持ち帰った。まさに命を賭けた文化輸入であった。そして当時の日本には蕎麦という植物が存在していたから、この字を書いて、読みは今まで通り「くろむぎ」あるいは「そばむぎ」とした(『和名抄』)。
このうちの「くろむぎ」の方は見た目からも分かる。つまり「麦に似た黒い実」である。もう一方の「そばむぎ」の「そば」発祥理由は不明である。
しかしそれでも、国語学者大野晋は、古い時代までさかのぼって、多くの語彙を集めて、眼界広く見るとも見えてくるという。
「ソバ・側」とは、横、脇、傍らの意である。「ソババラ」は脇腹、横腹、妾腹と書く。「御仲ソバソバシ」とは仲が悪いという意味である。「ソバミ合う」という台詞は、背を向けてとげとげしい状態をいう。「耳をソバダテル」は耳を傾ける。「山のソバ」は斜面・崖と書く。
こうして眼界広く見ていると、ソバには正式でないという意味がありそうだ。そういえば蕎麦は実も葉も花も三角形、〇が正統とするなら△はまっとうでないという意味もあるのだろう、と大野は述べている。
「そば」という読みはそういうことであり、「蕎麦」という字もそういうことである。蕎麦を愛する人なら、そうした日本語の遺伝子を理解してほしい。
☆元正天皇の即位をしっかり勉強していたので、令和の大嘗祭がよく理解できた。写真は、令和の大嘗宮と御献立。
『世界蕎麦文学全集』
65.『続日本紀』
66.ほしひかる「蕎麦を愛した氷高皇女」(『日本蕎麦新聞』平成16年9月)
67.大野晋「ソバの語源の話」
文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
写真:奈保山西陵 (元正天皇陵)
大嘗宮(令和)
令和の儀御献立(ネットより)