第754話 栖雲寺に「蕎麦切発祥」の由来文を建立

     

 11月13日、新宿発7:30特急あずさ3号松本行に乗車、8:30に大月で普通電車に乗り換える。ここで協会の松本さんと合流し、9:04に甲斐大和に着いた。
  駅は無人駅、ホームには「甲州鞍馬石の里」と掘られた甲州鞍馬石(山梨県産の閃緑岩)が居座っている。この駅で下車するのは6回目であるからお馴染みの光景である。
  駅舎を出ると、江戸ソバリエの神奈川の会の恩田さんが車で待っててくれた。
  オリンピック開催期間はコロナ陽性判明者が4000名、5000名と発表されていた。というのに、秋になってから30名を下回る数字に沈静化した。そのためか、特急も普通電車も、甲斐大和駅も登山客でいっぱいだった。もちろん私たちが向かう天目山栖雲寺(臨済宗建長寺派・住職:青柳真元・山梨県杭州市)にも観光客がたくさん見えていた。

 天目山栖雲寺については、江戸中期の国学者・天野信景(尾張藩士)が雑識集『塩尻』で「蕎麦切は甲州よりはじまる」と紹介してから、蕎麦切の聖地として知られている。
  そのため平成2年に旧大和村(現:甲州市)によって「蕎麦切発祥の地」の碑が建立された。石は甲州鞍馬石、鉄分が入っているのが特徴らしい。碑の裏には当時の大和村の平山安夫村長によって書かれた『塩尻』の一文が記してある。
  その碑が今までは境内の一隅に建てられていた。それを青柳現住職が本堂の前に移されるという。併せて由来文の説明板も建てたいとおっしゃるので、それではご縁のある江戸ソバリエ神奈川の会と江戸ソバリエ協会がご寄贈しましょうということになった。
  由来文は小生が以前に、業海禅師が渡海し入元した姿を想いながら書いた拙文を利用した。あとの製作手続きから建立作業までは恩田さんはじめ神奈川の会の皆さんが全て行い、今日の建立にいたった。
  碑の前には9月2日に播種された蕎麦の花が咲いている。その花の一部が紅い。花も遥か遠い元を懐かしがっているのだろうかと思ってしまった。
  本番の、第7回目の蕎麦切奉納の儀は本堂にて行われた。本尊釈迦如来様(県指定文化財)・開山業海本浄様(県指定文化財)・鎮守摩利支天様に玄蕎麦を奉納した。青柳住職の「蕎麦奉納大般若」の祈祷とともに、建長寺派の多数の僧侶による転読が厳かにも烈しく行われた。
 また、同時に開催された「宝物風入れ展」では、中国・元代の杭州で修行した開山の業海本浄の元由来の「十字架棒持マニ像」や、栖雲寺が武田信満の菩提寺であるところから信玄の軍配などゆかりの宝物が公開され、観光客や登山客が集まった。

 令和3年11月13日(土)は、まるで宇宙の奥にいるような青天だった。天目山の正面の白い富士は絵よりも美しい。江戸ソバリエ協会にとって、江戸ソバリエ神奈川の会にとって、記念すべき日にふさわしかった。
  そして何よりも江戸ソバリエ神奈川の会の皆さんが打たれた赤城産の蕎麦かは、新緑のようなあま味がして最高だった。

追記:第8回目の蕎麦奉納は来年の11月12(土)に予定されている。
参考:日野四郎著『業海禅師』(山梨ふるさと文庫)

〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕