第786話 新茶の天麩羅、旬を戴く

     

 「新茶の天麩羅を食べましょう」
と江戸ソバリエ&日本茶アンバサダーの宮本さんからお声がかかった。
  新茶の天麩羅というのは食べたことがないので、興味津々。
  集まったのは宮本さん、一ノ瀬さん、鈴木さん、赤尾さん、高橋さんと、宮本さんのお知り合いのSさま、と私の7名。料理を作ってくれたのは江戸ソバリエの店の北池袋「chojuan」の飯高さん。
  ちなみに、「おいしさ」は出身地などの条件とどう関係あるのかが最近気になっているので(「舌学のススメ」)ご紹介すると、南から佐賀県出身2名、静岡県出身1名、神奈川県出身1名、東京都出身2名、青森県出身1名。女性1名、男性6名。年齢は添付の写真でご推察の通り。ただ人数が多い場合は、条件別の傾向がつかめるが、少ないと個人的な好みが優先するから、今日の場合は無関係だろう。

  初めに、新茶の一番茶と番茶を飲み比べ風に戴いた。お茶は、四日市の産の「寺川早生」だという。
  口に含むと、新茶の緑の味がいい。そのなかに旨味と微かに渋味と苦味が感じるが、一番茶ほど旨味と甘味がするし、番茶ほど渋味と苦味が強く、その後味として微かな甘味がする。
  この‘苦味’と‘渋味’であるが、鎌倉時代の栄西が日本にお茶を伝えたとき、お茶は苦味のあるものとして紹介した(『喫茶養生記』)。しかしその後、日本人は茶の味を渋味と表現するようになった(柳宗悦)。
  日本語としては、‘苦い’は「苦々しい」などやや否定的な語感がするが、‘渋い’はかつては「渋味のある男」など‘粋’にちかい好感度をもつ語であった。それだけお茶が日本人の間で定着したということになるだろうが、なぜ変わったのだろうか。それは日本人がお茶の味のなかの旨味を愛しんだからだと思う。旨味を感じれば、「苦いだけじゃないぞ」と気付き、他の表現で渋味と言ったのだろう。その渋味、旨味を守るために日本人は鎌倉時代の栄西が持ち込んだ不発酵方式の茶を800年以上も守り続けているのは奇跡である。

  さて、今日のお料理は。
   一、鰺のなめろう 新茶の味噌垂れ 
         新芽寿司 新芽の天麩羅
   一、真鯛のかぶら蒸し 新芽とあらあんかけ
   一、名残の牡蠣の酒蒸し 
         新芽田楽 茶のベーゼ
   一、蕎麦ポモドーロ 新芽の空揚げ
    一、蕎麦フレーク

    料理のなかでは、「真鯛のかぶら蒸し」「名残の牡蠣の酒蒸し」が目玉だろう。鯛も牡蠣も豊満な触感が最高に美味しかった。それに新芽名残の対比的な組み合わせは粋である。飯高さんの腕はますます上がったように思う。ポマトーロ、飯高さんはトマトが得意のようだ。これまでも度々戴いたが、これも旨味が前面に出ている。
 
    そして主役の新芽の天麩羅を始めて口にした。始めてというのは嬉しい。
    でも緑の味とともに少しだけ蘞みがある。
    そうかと思った。
    春の野草 ― 筍、蕗の薹などは蘞みを楽しむという。これだろう。
   いま普及している工場製品のペットボトルのお茶はやさしいけれど均一的な飲み物。「美味しさとは均一化に抗うもの」という定義から見れば、微かに微かに蘞みのある新茶こそが本当のお茶ということになる。

 新茶の時季の今だから新茶を楽しむ。
   新蕎麦の時季に新蕎麦を楽しむ。
   これを‘旬’を味わうという。
   日本茶アンバサダーや江戸ソバリエは、そういうことを伝えていくべきだろう。
   とかいう屁理屈よりも、皆さんと一緒に食べることが楽しくて美味しい。
   だから、来年の新茶の時季にもまたやろうという声が出ていた。

《味噌垂れの作り方》
  酒と味醂を煮切り、これで信州味噌を延ばし、返しを効かせる。
  茶の新芽を上から3枚摘み取り、重曹で茹でる、くたっとしたら水に放って絞り、鉢でペーストにする。

 《参考》
  ✡栄西『喫茶養生記』
  ✡熊倉功夫編『柳宗悦 茶道論集』
  ✡ほしひかる「美味しさを考える―舌学のススメ―」
 http://www.edosobalier-kyokai.jp/tk/thinktank.html#list3 
  ✡ほしひかる著『新・みんなの蕎麦文化入門―お江戸育ちの日本蕎麦』

       〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕