第800話 煮干 色利 鰹節
鰹の削節の匂いはなかなかいい。しかも強い。まるで出汁の代表のように堂々としている。
実はこの鰹節の元となる物がある。「煎汁 イロリ」という。鰹とか大豆を煮詰めた汁であり、『養老律令』(718)や『倭名類聚抄』(931~938)に記載がある。
平安時代の日本では、酢(酸味)、酒(甘味)、塩(塩味)、醤(塩味)、未醬(塩味)、煎汁などの調味料を使っていた。とくに煎汁は今の旨味の素のような認識で使っていたらしい。
「旨味」といわれればソバリエならいやでも興味をもってしまう。というわけで、復元された煎汁(商品名「鰹色利」)を購入して味噌汁の出汁として使ってみた。しかしかなり生臭い。よって味噌の匂いも帳消しになる。
江戸の本枯節や昆布、煮干、干椎茸など「乾燥」という手段がいかに優れていたかが、よく分かった。
そんなとき、飯高さんの「chojuan」(江戸ソバリエの店)に顔を出したら、「煮干出汁の蕎麦つゆを試したから、飲んでみて」と言われた。口に含んでも違和感がないので「いいじゃない♪」と返事をしたところ、「ほしさんは九州出身だから、そう言うけどね。関東の人は臭いと言うんですよ」とのこと。エッ!そうなの。そう言われれば、毎日煮干出汁の味噌汁を飲んでるわ、というわけで、違う集まりで「煮干出汁の蕎麦つゆはいけるかどうか」試してみようということになった。
話のご縁からソバリエの一ノ瀬さんと赤尾さんが協力してくれることになって彼らのグロープで試してもらうことになった。そこで、前に「舌学のススメ」で美味しさは出身地の影響が多い云々などと述べていたこともあったので、彼らに出身地を伺うと全員関東の出身ということだった。
結果は、飯高さんの言うとおり、全員「×」だった。ただ「かけ蕎麦ならいいかもしれない」という心優しいコメントが付いていた。
ところで、この間ずっとひかかっていたことがあった。
煮干出汁の蕎麦つゆを誰かかやっていた記憶がある。それも玄人筋の人、だったような気がするが、それが蕎麦屋さんが語ったことだったのか、資料で見たのかを忘れてしまっていた。どこの誰だったろうかと、ここ一、二か月、頭の中を探索していたところ、『蕎麦春秋』誌の次の原稿で「蕎麦つゆ」の話を書いているとき、突然思い出した。
それはもう20年も前に見た本だったが、作家の立原正秋のエッセイだった。立原は「天才的舌の持ち主」といわれた美食作家で、その才はご子息に受け継がれ、ご子息は和食の料理人として知られている。
その立原流の蕎麦汁はというと・・・、鰹節に煮干の出し汁をとり、汁をつくる。煮干は頭と腹をとりさり、水に一時間つけておく。それを煮て、半分ほど煮立った頃に削りたての鰹節をいれ、火をとめる。火をとめ1分ほどして汁を漉し、醤油、酒、味醂、砂糖で味をととのえる。
作り方は、これで分かる。しかしなぜ煮干と鰹節なのかは述べていない。一種の合わせ出汁の例なのかもしれない。
飯高さんが望む「煮干で」の例ではなかったけれど、蕎麦に煮干という組み合わせ例があったということになる。
写真:鰹色利
〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕