第807話 歴史は生きている
巣鴨の「栃の木や」(江戸ソバリエの店)さんが戸田に移転された。
新しい店は「紡ぎ」となっての再出発だった。さっそく店主の内藤ご夫妻と江戸ソバリエの同期の奥平真理子さんや長友洋基さんたちと一緒に開店のお祝に駆けつけた。2022年9月2日のことである。
私の席の前には奥平さんが座っておられた。そこで前々から思っていた「奥平氏とか松平氏とかいう姓名は昔の殿様みたいですね」と申し上げたりしながらが、変わらずに冴えている内藤会長の《変わり蕎麦》を楽しんだ。
奥平さんに声をかけたとき、私の頭の中には『松屋茶会記』という史料があった。
そこには記録者の松屋久好らが、大和郡山城主松平忠明の重臣奥平金弥宅の茶会に招かれて、後段に蕎麦切を食したことが記録されている。1622年12月4日の昼のことであったが、その日の朝には城主忠明自らが亭主となって茶会を設けていた。
『松屋茶会記』というのは茶道史に詳しい人にとっては有名な史料である。また寺方蕎麦に関心のある人にとっても「後段に蕎麦切」の記録は貴重である。そういう小生もこの史料を知ってから、寺方蕎麦から江戸の蕎麦屋の蕎麦へという日本蕎麦史の全貌が見えてきて今にいたるわけである。
ところで皆さんは、「言葉に出せば、そのことが必ず現実となるから絶対に口にするな」というようなホラー・マンガを子供のころ読んだ記憶はおありだろうか。
実は、奥平さんとお会いした翌日に松平さんという方お会いすることがあった。ただしこの場合はホラーではない。だから世の中は楽しいなと思った。
どういう出会いだったかというと、第話で述べたように翌日は、小松庵本店で日本蕎麦会議所の勉強会が行われた。その席だった。松平さんという文京区会議員が参加されていた。さっそく名刺交換わするときに私は、またまた「殿様みたいなお名前ですね」と申し上げた。すると松平さんは笑っておられたが、そのときに紹介してくれた方が「会津藩主松平家の子孫の方ですよ」と付け加えられた。
えっ!「そうしますと、高遠藩の保科家は遠祖になりますね」。
「そうなりますかね」。
まさに蕎麦の殿様の出現!という出来事であった。
実はずっと以前にも、勝海舟や徳川慶喜の子孫の方とお会いしたことがあった。
そのときも歴史は生きていると痛感しながら、各々二名を主人公にして、拙いながらも小説(『サンフランシスコの咸臨丸』『慶喜残月』)を書いたことがあった。もちろん私の拙い書き物など小説とはとても呼べない代物であることは承知している。しかし、レポート、エッセイを書くのも大変だけど、やは追求に限界があることを感じることがある。その点、小説は時代背景や登場人物を探っているうちにその時代へ入り込むことができる。
読んでいる人は、面白いか面白くないかが大事だろうが、書き手にとっては、その過程で得たものは目に見えない財産になる。
さてさて、この奥平氏、松平氏の出会いを、どう料理しようかと楽しみながら悩んでいるところである。
追記:内藤さん、畑さん、北川さん、一ノ瀬さん、赤尾さん、鈴木さん、奥平さん、長友さん、ありがとうございました。
〔エッセイスト ほし☆ひかる〕