第816話 楽しむ蕎麦、学ぶ蕎麦
2022/11/08
― 第9回武蔵の国のそば打ち名人戦 ―
☆第9回武蔵の国のそば打ち名人戦
令和4年10月29日、そば熟彩蕎庵主催(後援:埼玉県・全麺協・江戸ソバリエ協会・蕎麦春秋)の第9回武蔵の国のそば打ち名人戦が埼玉県杉戸町の志学館高等学校で開催された。
今年の出場者は三組26名。皆さん、真剣だろう。だから審査員たる私も、昨夜は主催者の安田先生の蕎麦打ち教本をあらためて読み直した。審査員ならそのくらいすべきだと思う。
競技は、先ず予選の蕎麦打ち、そして決勝戦で食味審査が行われ、名人が決まる。予選においては蕎麦粉、蕎麦打ち道具は自分流。決勝戦では自ら茹でて盛り付け、食味審査に臨むことになっている。
したがって当日は、蕎麦粉は緑鮮やかな新蕎麦の早刈りから、珍しい在来種、それに赤蕎麦を打っている人もいる。粉は二八も、十割も。麺棒は三本、一本、エンボスも。そして湯捏ねをする女性もいる。傾向的には、十割を打つ人は腕に自信があるのだろう。
決勝進出人数は決まっていないが6名前後、その年によって僅差ぶりがあるから審査員で議論して人数が決まる。今年は6名になった。
決勝戦では、自分で茹でて、洗って、水を切り、盛り付ける。その過程も審査対照であるから、ブラインドでの食味とはならない。
この食味ではつゆを付けないで蕎麦だけを試食する。だから麺の茹で具合や水切れがもろに舌に伝わってくる。その善し悪しで、蕎麦打ち競技の結果がひっくり返ることがこれまでも多々あった。蕎麦は食べ物であるから、美味しい方が勝つ、と考えれば不思議でも何でもない。今年はどうか? その内容は公開しなことになっている。
最後に、審査委員が集まって協議した結果、今年は小島裕樹さん(北海道)が第九代名人に選ばれることになった。
それを聞いた司会進行役の掛札さんが声を詰まらせた。私はその意味が分からなかったが、後夜祭のときに理由を知った。
小島さんは50歳代、彼の優勝の弁によると、今年奥様を癌で亡くされ、ご自分は少し引き籠もり状態に陥っていたが、思い切って出場し、今日の結果になつたので、墓前に報告したいと話された。
去年のことを思い出せば、小島さんは準名人お二人のうちのお一人だった。昨年の二位が今年は一位になるということは、その方に実力があるともいえるが、先述のような状況のなかでは精神的強さもなければならないことがうかがえる。
ちなみに、これまでの名人は、初代・仲山徹、二代・小川喜久次(江戸ソバリエ)、三代・加地幸子、四代・前田幸彦、五代・原秀夫、六代・掛札久美子、七代・小林秀美、八代・渡部結花の各氏であるが、いずれも大なり小なりのドラマと精神的強さがあったにちがいない。
☆楽しむ蕎麦、学ぶ蕎麦
ところで私は、この会が好きである。それはおそらく創始者の安田先生の人徳、言い換えれば先生と間が合うからであろう。間が合うというのはどういうことかというと、思うところに共通するもの、あるいは類似点があるからかもしれない。
たとえば、今回の後夜祭のときだった。私は隣の席の安田先生に「和食のなかにおける蕎麦の位置」について、少しだけ話をした。翌日すぐに、先生からそのことについてのコメントをいただいた。という具合に、抱えていることに共通点があるのかもしれない。
では、共通点、類似点の背景にあるものは何か。
見回すと、全国には安田先生の「彩蕎庵(武蔵の国のそば打ち名人戦)」や、私たちの「江戸ソバリエ協会(江戸ソバリエ認定講座)」、あるいは小生が関わっている「深大寺そば学院」など、たくさんの蕎麦愛好会が在る。いずれの会も「楽しくやろう」ということが主軸となっている。
そのなかで、安田先生と深大寺の八十八世ご住職には同じ匂いがあることに気づいた。それは教師の匂いである。感じる私にも僅かながらも同じ匂いがあるのかもしれない。だから江戸ソバリエ認定講座では「江戸蕎麦学」「耳学」「手学」「舌学」などと名付けている。
そういうわけで、三団体には「楽しむ蕎麦」と、他に「学ぶ蕎麦」があると思う。ただ実際には、受講生の「学ぶ」姿勢と、主催者側の「教育」姿勢は異なるところがある。学びは自己的で、教育は利他的である。そうであっても広い目では同じ土俵であることにまちがいない。
このような両輪で、蕎麦文化に携わっていくことをもう少し続けていきたいと思っている。
江戸ソバリエ協会、武蔵の国そば打ち名人戦、深大寺そば学院
ほし☆ひかる