第827話 コーヒー、蜂蜜、蕎麦
2022/12/25
舌学ノートの基礎問題
『蕎麦春秋』誌に「そば文学紀行」を連載している。
次の冬号(12月22日発売予定)の原稿は出版社に送った(11月10日)。その一か月後、小林尚人さん(江戸ソバリエ・ルシック)から蕎麦の蜂蜜を頂いた。
次の次の春号では、湊かなえ著の『リバース』を材にして、蕎麦の味覚について書こうと思っていたので、ありがたく蕎麦蜜を頂いた。
蕎麦の味覚論に蜂蜜とはどういうことか?とお思いだろうが、『リバース』に蜂蜜、それとコーヒーが出てくるからだけど、というか小説の主人公はむしろコーヒー通、それが蕎麦の味覚を知るという話である。それで蜂蜜はというと、それはちょっと脇役でコーヒーに蜂蜜をいれて飲む場面があるにすぎない。
そういうわけだけど、とにかく【コーヒー】と【蜂蜜】の味について振り返ってみたいと思う。
【コーヒー】の味覚は、だいたい苦味、酸味、あま味、酷で、表現され、その味覚はコーヒーの産地で決まる。たとえばハワイコナは酸味があることで知られているが、産地は下記のように9大産地+その他である。それに豆の焙煎具合(深煎り、浅煎り)が関係し、さらには香りが重なって味覚が表現される。その香り表現はほぼ7種類の言葉がよく使われる。
❶エチオピア(モカ)、
❷ケニア、
❸タンザニア(キリマンジャロ)、
➍インドネシア(マンデリン)、
❺ハワイ(ハワイコナ)、
❻グァテマラ、
❼ジャマイカ(ブルーマウンティン)、
❽コロンビア、
❾ブラジル(ブラジルサントス)、
❿その他、
では、【蜂蜜】の味覚はどうか。これはほとんど甘味のみといってもいい。それに香りが重なる。蜂蜜の甘味の具合は、一般的に下記のように7つに分類されている。
❶草花系(野に咲く花から採れるマイルドな風味の蜂蜜)、
❷樹木系(大きな木の小さな花から採れる爽やかな蜂蜜)、
❸百花系(たくさんの花の蜜を集めたもの)、
➍フルーツ系(フルーツの花から採れる香り高い蜂蜜)、
❺ハーブ系(ハーブの花の立ち上がるような強い香りの蜂蜜)、
❻ナッツ系(ナッツ系の花から集められた濃い味の蜂蜜)、
❼露密系(樹液を吸った昆虫から出る甘い分泌物を蜜蜂が巣に持ち帰った濃厚で深みのある蜂蜜)、
上段の蜂蜜はスーパーなどで売っているが、下段はデパートとか専門店などで見られる。
少し前に小池ともこさん(ソバリエ)からブータンの東洋蜜蜂の❸百花蜜を頂いたことがあるがそれも、今日の小林さんの蕎麦の蜜も❶花系に入る。一般的に❸百花系や❶花系はマイルドな風味であるが、蕎麦蜜だけは特例的に香りも色も濃い。
近年の銀座蜂蜜の成功以来、蜂蜜を手掛けている人が増えたが、ソバリエの岩波さんはプロの養蜂家であり、高田さんも最近やり始めている。
小説では、コーヒーに蜂蜜を入れて飲む場面であるが、個人的にはコーヒーや紅茶に蜂蜜・砂糖、またはミルクを入れれば、いわゆる一般的なコーヒー、紅茶とはまったく別の飲み物を楽しむということになると思っている。
ところで私が、味覚をこうした視点で見ることができるようになったのは、荒井香織さん(江戸ソバリエ・ルシック)のお誘いで〔コムラード オブ チーズ〕の研修を受けてからだ。
ヨーロッパ【チーズ】は下記の7つに分類され、さらにそれを国別にすれば、マトリックスで味覚が比較できる。
①フレッシュタイプ、
②白カビタイプ、
③青カビタイプ、
④ウォッシュタイプ、
⑤シェーブルタイプ、
⑥セミハード・ハードタイプ、
このメガネを知らなかったときは、デパートのチーズ売り場で見ても何が何んだか分からなかったが、最近は整然と見られるようになった。
似たような物はまだある。ワインも、オリーブオイルも然りであるが、要はその物の味覚を判別できるように土俵が一つにされていることである。
では、蕎麦はどうかということになる。拙著『新・みんなの蕎麦文化入門』の第15章で、江戸ソバリエ認定講座の「舌学ノート」から得たことを少し述べたが、その論をもう少し発展させたいわけだ。ただしその前に蕎麦にはこういう現実がある。
《話1》食についてあるていど詳しい知人が「あなたは蕎麦好きと聞いたので、信州に行ったからお土産に蕎麦(乾麺)を買ってきました。店の人が美味しいと薦めたから、美味しいと思いますよ。」
表示を見ると小麦粉が多い製品だった。後日、どうだったと問われたのが、好みの細麺だったからよかったけれど、それよりもあなたの気遣いが嬉しかったよ、ありがとうと返事をした。
《話2》知人が「美味しい蕎麦屋があるけど、君の口でも美味しいかどうか判断してほしいから、一緒に行こう」と誘われた。
店は立食い蕎麦店だったが、人気店らしく大変混んでいた。彼は「どう?」と訊いてきた。食べやすい蕎麦だと思ったが、それ以上に彼が私に信頼を寄せていることが分かっていたので、「うん、美味しいよ」と返事をした。
《話3》故郷から友人が上京してきた。「おまえは蕎麦にうるさいらしいじゃないか。美味い蕎麦屋に連れて行けよ」と言うので、私のお気に入りの店に連れて行った。彼はビールとつまみばかりを口に運んでいたが上機嫌だった。最後の蕎麦についてはとくにどうということのないような顔をして食べていた。私はちょっぴり寂しかったが、彼が上機嫌になっていることが一番だと自分に言い聞かせた。
《話4》時々思うことがある。よっぽど味に鈍感な人以外のたいていの人は、自分が食べている握鮨や天婦羅や鰻重が、美味しいか美味しくないかは判断できる。しかし蕎麦の場合はそうでもない。蕎麦通以外の一般の人はどれが美味しいか美味しくないかはあまり分かっていない。それよりも手打蕎麦、器械打蕎麦、立喰蕎麦、乾麺の差別ができないし、ましてや江戸蕎麦と郷土蕎麦の区分けなんてまったく関心がない。なぜだろうと思う。
《話5》「やっばり江戸蕎麦は美味しい」、と時々休みをとって東京に蕎麦を食べに来るという、某県で名店といわれている「某」蕎麦屋さんと先日話す機会があった。今回は東京で10軒の蕎麦店を巡るという。会話をしているとき、もしかしたら「竹やぶ」の阿部さんも若いころこんなではなかったろうかと、45歳だという彼にはある種の眩しさを感じた。その彼も《話4》と同じようなことを言っていた。さらに彼は、地方の蕎麦屋は腹一杯に食わせる〝飯屋〟であって、「地方に本物の蕎麦屋はめったにない」と言う。だから地方で蕎麦屋をやりたいなら、地元客より、東京の蕎麦通が来てくれる店にした方が遣り甲斐がある。だって蕎麦の美味しさが分かる蕎麦通は人里離れた山の中にだって食べに行くからね。
たしかに蕎麦にはそういうところがある。仮に鮨、天婦羅、鰻の名店が山奥にあったって食べに行く人はいない。しかし蕎麦の店なら行く。それだけ蕎麦には高尚なところがある一方、併せて世俗的なところもあるという不思議な食べ物である。言い換えれば、一般の人は先述の全てが蕎麦だとしているが、蕎麦通はある物を蕎麦だと認めていない。つまり土俵が違うから齟齬がある。だから蕎麦鑑定は難しい。
どうすれば、よいか。たとえば「江戸後期のファストフードである「屋台蕎麦」が、日本の蕎麦の始まりである」と間違ったことを真面目に言う人がいる。実は、この間違いを是正するところに解決の糸口がある。そもそもが日本の伝統文化を現代アメリカの巨大ビジネスであるファストフードで理解しようとしている点には呆れてしまうが、それもふくめて日本蕎麦の正しい歴史認識をもつことが先決である。そのうえで蕎麦味覚論の土俵づくりをしなければならない。
というようなことは、「そば文学紀行」には書かない。これはあくまで蕎麦の味覚論を進めるうえでの基礎問題みたいなものである。
〔江戸ソバリエ協会 理事長 ほし☆ひかる〕