第843話 「冷静な頭脳、されど温かい心」

     

☆病院での出来事 
 新型コロナウイルス感染症の位置づけが、5類感染症になったころであった。 風邪をこじらせたからだと思うが、咳が止まらなくなった。
  そこで鎮咳剤を求めて近所の薬局へ行った。棚を見るとフスタミン・コデインが入っている鎮咳去痰剤がたくさんあった。そのなかで代表的な薬品を購入して、服用した。そうすると驚くほどに去痰作用が効いて、返って心配になったので、病院への予約を入れた。
  そうすると、「来てもよい。ただし病院内に入らないで、着いたら外から内科に電話してください」と言う。よく意味が分からなかったが、指示通りに、病院の玄関で「来ました」と電話をした。
 看護婦さんが出てきた。そして処置室みたいな部屋に連れて行かれ、そこで体温を計り、コロナ検査をした後、「予約の患者さんが続いているのでここで待っててください」「この部屋から出ないでください」「後で電話で問診しますから」「マスクはキチンと付けてください」「トイレに行きたいときは、電話で連絡してください。案内します。」ということだった。
 まるで警察官につかまった犯人みたいだった。少し不安になってきた。部屋には大きな送風機が動いていた。エアコンではなかったが、待ち時間1時間が過ぎたころから寒くなってきた。机の上の体温計で計ると36.6度を示した。私の体温は一年中36.5、少し熱ッポイかなというときは36.6になる。この時に注意しないとほんとうに風邪をひく。
 電話のベルが鳴った。受話器を取ると看護婦さんが問診を始めた。質問項目は多かった。なかに「味覚の変化はありますか?」というのがあった。「味覚の変化ってどういうことだ」と思った。好きな珈琲が不味く感じる。これは味覚の変化なのか、身体が弱っているからなのか?と訊こうと思ったが、受話器相手ではあまり通じないような気がした。なので「味覚変化はない」と答えた。他にも似たような項目があったが、いずれも「ない」と答えた。最後に「寒いから送風機を切ってもよいか」と言ったら、「感染対策だから切ってはいけない」と言われた。 しばらくして、看護婦さんが来て、「検査の結果は、コロナもインフルエンザも陰性でした」と言う。じゃ、パスじゃないかと思ったが、この部屋での待機は変わらなかった。結局2時間以上待つことになり、風邪が酷くなったような気がした。また電話が鳴って、先にレントゲンを撮ってくださいと連絡があったので、「レントゲン室は知ってます」と応じたが、「案内しますから」と言って看護婦さんが現れた。またマスクをキチンと着けてくださいと言われた。どうも院内を一人で徘徊してはいけないようである。
 レントゲン撮影が終わって、また処置室に戻った。
  しばらくして電話が鳴って、「今から医師がそちらに診察に行きます」と言う。 やって来たのは孫のような若い女医さん。しかしこの部屋は診察室ではないので、医師用の机も椅子もないから、女医さんは立ったままで、椅子に座っている私に、しかもやや離れて、上から話しかけるという形になった。話によると「レントゲン写真からみると、気管支が弱っている」とのことだった。最後に聴診器を当てるときだけは、医師も近づいてくれたが、それ以外は距離があった。
  ともあれ診察は終わった。処方箋ももらったから、治療代を支払うため事務室の前の椅子に座って、計算を待っていた。
  しかし不思議だった。診察のときはあれほど私の行動は縛られていたのに、支払うときは、ホールに居ても構わないという現実が可笑しかった。
  待合室のテレビが、「5類になって私たちに日常生活が戻ってきた」「よかった、よかった」と報道していた。
  そうだったかと、やっと分かった気がした。
 おそらく、コロナが普通の5類になったため、患者さんもただの風邪なみだろうとどっと医療機関を訪れたが、その何割かきコロナ患者が間違いなくいる。そこで医療機関はこういう対策を打ったというわけである。いえば医療機関も患者も、政府とマスコミの「5類」に振り回されたのである。言い換えれば、医療は政治政策が支援しなければならないところ、政治が優先されたと言ってよいと思う。

 こうした混乱を招かないように、コロナ禍の初期から、私は政府がなすべきことは、コロナ専門病院(あるいは病棟)を作ること、とコラムなどに書いたりしていたが、もちろん小生の声が届くはずがなかった。

☆後発医薬品問題
  それから4日ぐらい経った。私の気管支喘息は改善の兆がまったくみられなかった。ある時、ハッと思って、薬剤を確認してみると、全て後発医薬品だった。「しまった」と後悔した。これまで私の身体には後発品の効果は芳しくなかった。だから薬をもらうときには「先発品にしてください」と言うことにしていた。ただ、以前は薬剤師も「どちらにしますか」と尋ねてくれていたが、最近は断わりなく後発品が渡される。それは分かっていたが、喘息続きで気力も体力もなかったため、渡されるままに薬を貰ってきたのであった。あヽ、この薬を飲み終わるまであと3日もあるのかと悔やみながら飲み続け、薬が切れたので病院へ行った。
 今回も前もって電話をした。ただ前回の反省から受付ぎりぎりの12時直前に病院の前に立った。看護婦に電話したら、やはり前回同様の隔離対応だった。ただ今度は診察室みたいな部屋で待たされた。
  まもなくして40才代の男性医師がやって来た。今度は対面で話すことができた。私は、後発医薬品は効果が薄いと思うこと、私の方もうっかりしていたが、病人に説明しないで後発品を出す薬剤師もひどいということと、結果的には一週間が無駄に終わったことなどを、医師は成分処方しかしないことを分かっていながら訴えた。なぜかというと、内科の医師は投薬が重要な治療手段であるから、自分の専門分野の薬剤については詳しいはず。ただし目の前にいる内科の医師の、専門が循環器系なのか、消化器系なのか、呼吸器系なのかは分からないから、正しい処方をくれるかどうかわからないところはある。たとえば循環器系の医師は、循環器系の薬剤は専門だが、呼吸器系の薬剤は疎いということもありうる。それでも先発医薬品の利点は承知しているはず、だと思う。
 今日の医師は、私の目を見ながら話を聴いてくれ、薬を変えましょうと言った。
  私はその処方箋を持って、病院の前にある調剤薬局へ行って、今度は「先発医薬品にしてください」と言った。すると「当薬局は後発品しか置いていない」と言うではないか。私はとうとうここまできたのかと思いながら、「そうですか。じゃ、他の調剤薬局に行きます」と言って、大病院の前にある大手の調剤薬局へ行った。大手の薬局なら、在庫は大丈夫だろうと思ったからだったが、読みどおり、処方薬は全部、先発医薬品にしてもらって、ホッとした。
 こんなとき、私は時々思う。現代では、薬剤師って必要だろうか、と。
 これは決して薬剤師さん個人を責めているのてはない。後発医薬品推進時代に、制度としての薬剤師は重要かということである。先発品と後発品の格差を知っていながら、国の政策、病院の経営方針で後発品しか出さないのは、薬剤師倫理に反するのではないかと思う。イヤもしかしたら、後発品時代に育った若い人は、先発品と後発品の格差はないと信じているのだろうかと怖くなってくる。そういう人は、視野を広げて社会を見てもらいたい。製パン、チンすれば直ぐご飯になる食品、飲み物など多くが、先発品の方が美味しい。でも、薬剤師は医薬品情報の提供をしてくれるではないか。イヤイヤ、そんなものは製薬会社がキチンと提供してくれている。それを薬剤師が伝えているにすぎない。なぜ先発品の長所短所、後発品の短所長所を説明しないのだろう、と思ったりした。

☆Cool heads but Warm hearts
 それにしても、たかが風邪ごときで、3週間も病院通いしたのは、生まれて初めてであった。診てもらった内科医師も3名になる。
  医師の対応は三者三様だったが、私と間が合うのは2人目の医師だったかなと思う。
 医師を分けると、だいたい外科系と内科系の医師がいる。医学の研究者は別として、対患者の医師だけを見た場合、外科系の医師は器用でなければ優れた医師とはいえない。では内科系の医師は、何だろう。難しいところだ。 
 話は学生時代のことになるが、当時私は、あるゼミに入っていた。教授は威張り散らし、いまでいえばパワハラぎりぎり先生だった。当時、ビートルズが登場しかけていたころであったが、長髪がちらほらと見られるときでもあった。教授はもちろんビートルズなんてご存知なかったが、風紀上、髪が長い男子学生を見ると、「床屋へ行け、軍隊だったらバリカンで坊主にされるゾ」なんて怒鳴られてたものだった。そんな教授が、「私の好きな言葉は、アルフレッド・マーシャルの『Cool heads but Warm hearts(冷静な頭脳、されど温かい心)』だ、人間こうあるべきだ。君たちもこの言葉を好きになれ」と事あるごとに強制した。当時、私たちは20才前後。われわれは、何が『Cool heads but Warm hearts』だ、キザだとバカにしていた。なのに妙にこの金言が記憶に残っている。そしていま思うに、内科の医師こそ、この「Cool heads but Warm hearts(冷静な頭脳、されど温かい心)」が備わった人が名医ではないかと思ったりする。
 翻って、仮に私が内科医だったら、どうだろう。患者さんから「冷静な頭脳、されど温かい心」をもった人物に見えるだろうか。答えは当然「ノー」である。  一人の人物としても「冷静な頭脳、されど温かい心」とは、ほど遠い、と。一カ月にわたるおかしな気管支喘息から立ち直ったとき、妙に素直になっていた・・・。

〔エッセイスト ほし☆ひかる〕