第847話【第四世代】の蕎麦曼荼羅
東京から大分の中津へ移住されるという「蕎麦シカモア」の小川さんのお別れ蕎麦会に来ないかと、「一東菴」の吉川さんから誘われた。
そうでなくても、私が【第四世代】と名付けた蕎麦打ち世代の会だ。「行かなければ」とすぐに「参加」を申込んだ。
「蕎麦Sycamore」さんは東急世田谷線の上町駅の近くにある。
私の家からだと、丸ノ内線、山手線、小田急線、世田谷線を乗り継いで伺うことになる。
大塚に住んでいる私は、軌道線の都電荒川線(全線30停留場)はお馴染みであるが、世田谷線(全線10駅)に乗車する機会は少ない。だから少年のような新鮮な気分で乗ろうとしていた。そこへ幼稚園児ぐらいの男の子を伴ったママさんがやって来た。ママさんは「どんな電車が来るかしらネ~」と男の子に話しかけた。間もなく白い電車の姿が見えてきた。それは運転車両の前面が白い猫の顔をした電車だった。母子は「ほら、猫ちゃんよ。かわいいわね」と大はしゃぎ、それを観ていた私も幸せな時だった。
今日の蕎麦会は、主役の「蕎麦Sycamore」の小川さん、「一東菴」の吉川さん、「green glass」の関根さんと、それそれの奥様方の共演というスゴイ会だった。
供される蕎麦料理は、次のように三者各々が、蕎麦切二種と蕎麦掻、それに肴を供してくれるという。
【一東菴】
《蕎麦切》
山形越沢産 令和4年三角蕎麦
千葉成田産 令和5年初夏蕎麦
《蕎麦掻》
長崎五島産 令和4年五島在来
《肴》
【green glass】
《蕎麦切》
宮崎高千穂産 令和1年椎葉在来
長野乗鞍産 令和3年乗鞍在来原種
《蕎麦掻》
埼玉新座産 令和4年新座在来
《肴》
【Sycamore】
《蕎麦切》
茨城笠間産 和4年常陸秋そば
埼玉三芳産 令和5年夏蕎麦
《蕎麦掻》
千葉成田産 令和4年成田秋蕎麦
《肴》
実際は《肴》の内容も具体的に記さなければ、作り手に失礼になるかもしれないが、蕎麦・蕎麦・蕎麦感を前面に出すために、敢えて割愛させてもらった。お許し願いたい。
というわけで、ご覧のとおり私たちは六種の蕎麦切と三種の蕎麦掻を満喫した。
しかも産地は宮崎、長崎から山形まで、収穫は令和元年物から5年物まで、まるで「蕎麦曼荼羅」である。
彼らは、打ち慣れた蕎麦粉ではなく、これだけの蕎麦粉を打ち分ける。そこが【第四世代】と呼ぶに相応しい。
幸い、私はカウンター席に座らせてもらったから、茹で、水洗いの様子が丸見えだった。もちろんやり方は三者三様であることは当然だが、共通して茹で方が一般とは少し違っていたことが面白かった。
それに《蕎麦切》はそんなに冷たくはなかった。そのせいか蕎麦の香りや蕎麦の味が直接、鼻や舌をくすぐる。蕎麦の風味が主役、これが【第四世代】の蕎麦の第一の特徴だと思う。
席を見渡せば、今日は見覚えのある蕎麦の生産者さんも顔を出されていた。三芳蕎麦さんは静岡の蕎麦会でもお会いした。長野乗鞍の生産者さんは初めてお会いした。成田の上野さんは前にお会いしたことがあるが、今日は刈り入れのためどうしても参加できなかったという。山形三角蕎麦の生産者さんは、過日お会いしたことがある。近々も目白の「おさめ」さんに顔を出されると聞いているが、実はその日に私も「おさめ」さんを訪れる予定だ。
このように、生産者=蕎麦屋=客が同席することがあるのが【第四世代】の蕎麦会の特徴の一つであると思う。
ところで、季節柄、今日の曼荼羅の中に《夏蕎麦》がある。
《夏蕎麦》というのは、ソバリエ活動を始めた20年前はあまり聞かなかったが、最近ではすっかり市民権を得た存在になっている。もっと遡った江戸時代は夏蕎麦なんか見向きもされなかっただろう。《夏蕎麦》を前にする度に、時代は変わるものだと思う。
だから【第四世代】の登場も時代の波であると思う。
最後に、小川さん、吉川さん、関根さんに、三人の奥様方がご挨拶された。こんな現代的な夫唱婦随も【第四世代】の景色である。
ごちそうさまでした。
《参考》
第一世代:江戸蕎麦時代〔江戸中期~江戸後期〕
第二世代:大衆蕎麦時代〔江戸末期~昭和戦後〕
第三世代:ニューウエイブ時代〔昭和高度成長期~平成〕
第四世代:現在〔令和~〕
*もちろん世間の動向は簡単に区分けできない。とくに老舗暖簾店は蕎麦界の先頭に立って蕎麦文化を継続し続けている。それでも時代は確実に変化している。その変化を大まかに上記のように区分けしみた。
〔江戸ソバリエ協会 ほし☆ひかる〕