健康ニュース10月15日号 お上にゴマする食事指標
国が発表している食生活指針は「食生活は、主食、主菜、副菜を基本に、食事のバランスを」です。この指針は、食糧事情と国民の健康管理を科学的考慮の下に発表されていることは疑いの余地もありません。
そこで、過去にはどんな食生活指針があったのか調べてみました。学ぶスタンスにより異論もあることでしょうが、それを承知の上でまとめてみました。
江戸は元禄時代に、貝原益軒という学者が養生訓という著書の中で、「腹八分健康説」を唱えた、と言われています。
養生訓を読んでみた結果、貝原益軒は「腹八分が良い」とは書いていません。「腹は七、八分の控え目が良い」とあります。(養生訓・全現代語訳・伊藤友信訳・講談社学術文庫より)
七、八分がなぜ八分のみで強調されたのでしょうか?
八は末広がりを意味し、この説を広く浸透させたい、と為政者は考えたのでしょう。
養生訓が発表された江戸時代、貝原益軒は1681年に天和の飢饉を体験しています。一日二食の時代ですら、お腹を十分満たすことができなかったのです。またこの時代は、菜種油による灯りで夜の生活が大きく変った時代でもあります。イワシなどを主とした魚油の灯りは臭く、その灯りの下での食事などは考えられなかったということですが、菜種油の普及は、夜の生活を一変。一日三食という新しい食生活習慣を産み出したと言えます。
飢饉による食料不足が定期的に発生したその時代、一日二食ですら十分摂れなかったのに三食となるとどうなったのでしょうか。誰が考えてもわかることでしょう。
「食べたいのに十分食べることができない」という庶民の不満を、論をもって説得するにもってこいの説が、貝原益軒の著書で「腹は七分から八分が良い。満足するまで食べると病気になる」という一説であったと考えます。これほど都合の良い説は無かったのでしょう。
時代はあっという間に過ぎて、昭和時代に入ります。
国を挙げて戦争の準備に入った時、「欲しがりません、勝つまでは!」「ぜいたくは敵だ!」などのスローガンは食生活にまで影響を与えています。
➀「日本人の腸は欧米人に比べて長い」とか②「アルカリ性食品は体に良い」という論です。
現代の科学では、これらは全て理にかなっていない説であるということは言うまでもありません。
いかに昭和の初期とは言え、すでに近代的な国家になっていた日本です、医学などに従事していた方が、日本人の腸は欧米人に比べて何センチ長いとか、何メートル長いということを明確に言わず、ただ長いというのは科学的でないことは承知していたはずです。裏を返せば、明治以降肉食の味を知った国民の、肉を食べたいという願望を断ち切るために、イデオロギーとして軍部にすり寄る学者が言い始めたと考えられないでしょうか?
太平洋戦争が終わった時期に子供だった今の高齢者は、両親や祖父母からよく聞かされたことがあります。
子供が「もっと食べたい!」と言った時、「腹も身の内だよ」とか「腹八分がちょうど良いのだよ」と聞かされことありませんか?これらは江戸時代の為政者の発想と何ら変わらないと言えば言い過ぎでしょうか!
「アルカリ性食品は酸性食品よりも健康的だ」という説も同様のことです。この説の究極の結果生まれたのが「日の丸弁当」と言えます。食べ物で血液が酸性に傾くとかアルカリ性に変わっていくことはあり得ないにもかかわらず、長く言い続けられたことをご存じの方も多いことでしょう。
➀②とも庶民の食に関する願望を抑えるために、軍部に媚びを売る輩が言い始めたと考えられないでしょうか?
満腹まで食べ続けることは肥満となり、生活習慣病の一因となるのは間違いありませんが、それは働き盛り世代に言えることで、高齢者世代では該当しないというのが現代の専門医の考えです。
江戸時代や軍国主義体制下の食事スローガンを、令和の時代でも臆せず言い続けるのは何故でしょうか!