第866話 蕎麦と書いて、そばと訓む。

      2023/12/10  

~ ある女子大における特別講座から ❶ ~

 この秋に、ある女子大の某先生のゼミで「和食文化と蕎麦」の話をさせていただいた。そのゼミでは聴講後に、感想文を提出することになっているらしく、後日14通の感想文をいただいた。
 それを拝読して、今後また機会があるときのために反省もふくめ、こちらも感想文のようなものを書いてみた。

☆蕎麦と書いて、そばと訓(ヨ)む。
 講演するときは、先ず「蕎麦」の字の解説しながら、蕎麦の実を見せることにしている。現物を見せることが、写真や映像より実感がもてると思うからだ。
 案の定、感想文には、「初めて見た」「朝顔の種のよう」とあった。
 この蕎麦の実は播いてからすぐに伸びて高くなるところから、原産地の中国において「喬 タカシ」の字が当てられ、「蕎麦」の字が誕生した。したがって「蕎」の字にはソバ以外の意味はない。「それなら蕎麦の字は中国字であって、日本字ではないではないか」と言う人がいるが、国字を創造することをしなかった日本では、漢字と、漢字を崩して作ったひらがなで日本文を書くことにした。だから漢字は日本字であるといえる。
 そして栽培蕎麦は縄文晩期には日本列島に伝来していたから、当時から日本人は「ソバ」と言っていたようだ。どういう意味で「ソバ」と言ったのかは縄文人でないと分からない。「手 テ」や「耳 ミミ」・・・など、一語か二語ぐらいの言葉は原始の時代から使われた日本語だと思う。いずれも意味は分からない。赤ん坊言葉にちかいと思えばいいのかもしれない。後に「テ」という語に「手」という漢字を合わせて、日本語と日本字ができ上った。「ソバ」「蕎麦」もそうである。これが日本語・日本字である。ちなみに「大麦」とか「小麦」などは、知的に分別された語であるゆえに、後代になって付けられた名前である。
 ところで、ときどき「蕎麦」の字が読めない人がいるから、「そば」とひらがなで表記してはと言う人がいるが、その考えの行き着く先は、日本語はひらがなだけでいいということになり、日本字の良さを失うということになる。。
 日本文は、名詞が文章表現の意味の中心であり、その名詞は漢字でできているものである。なぜなら名詞を漢字にすれば、一文が一目で理解できる。中国のように漢字だけの文、西洋のようにアルファベットだけの文は意味を理解するのに手間がかかる。その点、文字を創造することができなかった日本だけど、素晴らしい日本文を書くことを考案したのである。この点は和食文化の精神と同じであると思う。
  生徒さんからも、「日本語は奥が深いという声があったが、台湾で生まれ育った李琴峰は、日本語の魅力に誘われて日本へやって来て、日本語で書いた小説『彼岸花が咲く島』で芥川賞を受賞した。世界の人は日本字に注目しているのである。
 あらためて、認識しよう。「蕎麦」と書いてそばと訓む、を。

《❷へ続く。》

《参考》
人見必大『本朝食鑑』
柳父 章『近代日本語の思想』

江戸ソバリエ認定委員長
和食文化継承リーダー
ほし☆ひかる