第888話 江戸蕎麦膳は「大黒屋」をもって盛美とす

      2024/03/11  

 ここのところ浅草の「蕎亭大黒屋」さんを続けて訪れたので、拙いながら最高の大黒屋蕎麦膳をご紹介したい。

1月7日、七草蕎麦粥
 1月7日は七草の節」、正式には「人日」といい、《七草粥》を食する慣習がある。しかし「人日」と言われても現代人には意味が分からない。というわけで調べてみると、古代中国では、月暦一月一日は鶏の日、二日は犬の日、三日は羊の日、四日は猪の日、五日は牛の日、六日は馬の日、七日が人の日、八日は穀の日となっているらしい。そう言われても、ますますそれが何なんだと思ってしまうところだが、とにかく七日の人の日には人間を大事にしようということから「人日という節供が始まり、日本に伝わって江戸時代は五節供の一つとして催事が続けられていたらしい。
 ところが明治になって日本は、西洋流の太陽暦に切り替えた。本来は中国の月暦の一月七日は太陽暦の1月28日が「人日」に当たるのだが、「七」を活かすために太陽暦の1月7日を人日と決めた。
 そんなわけで、1月7日に《七草蕎麦粥》を食べようと唱えているのが、「蕎亭大黒屋」の菅野成雄さんである。だから《七草蕎麦粥》を供している店は大黒屋さんしかない。
 それを食べに行こうとソバリエの「松」さんと「後」さんに誘われ、何年ぶりかで美味しくいただいた。

蕎麦寿司
 『江戸楽』の記者さんと話しているときに、「蕎亭大黒屋に行ってみたい」ということになったので、2月某日にご一緒した。
 この記者さんからは、いつも記者の目らしい食情報をいただいている。
 川崎宿の和菓子屋で、江戸初期の《茶飯》を再現している店があるというので、こうしたことに関心をもっている神奈川のソバリエさんを誘って行ったこともある。
 「茶飯屋」というのは、江戸初期の浅草待乳山聖天の門前にあった日本初の外食店であり、少し後に日本初の「蕎麦屋」が日本橋とか浅草に誕生しているので、《茶飯》は日本における外食店の租の食べ物ということになるから、どうしても一度は食べてみたいと思っていたところであった。
 またまた、日本の台所史を調べているときには、この記者さんに小平のガスミュージアムに行けばいいとおっしゃって、付き合ってもらったことがある。そのときは「武蔵野に来れば、武蔵野うどんですよ」と言われて武蔵野うどんもご一緒した。
 さて、蕎亭大黒屋へ訪れたのは、私が当店の《蕎麦寿司》は芸術品だと申上げたせいもあるけれど、実際食べられて美味しいと感激されたので「よかった」とほっとした。
 ところで、当店には一人男性が手伝われている。その人は「後」さんといって18期のソバリエさんだ。近々自分も開業したいとの目標をもっておられるから、私もその日が待ち遠しいところだ。

蕎麦飯
 記者さんと訪れたときに、「蕎亭大黒屋」の菅野成雄さんから「《蕎麦飯》の会をやらないか」と提案された。「やらないか」というのは、先の《七草蕎麦粥》と同じく、普段にはお品書にはないもので、特別ということである。そこで時々一緒に蕎麦屋巡りをしている「利」さん、「由」さん、「和」さん、「真」さんのソバリエ女子をお誘いした。
 3月某日。店に着いてから、ソバリエの「後」さんをご紹介したところ、私もうっかりしていたが、「由」さん、「和」さん、「真」さんたちが「えっ、ソバリエ18期の同期じゃないの」ということになった。それにしても日本人の「同期文化」というのは面白い。たちまちにして和気あいあいとなったところで、いよいよ、今日の【蕎麦膳】である。
 *蕎麦焼味噌
 *蕎麦掻
 *蕎麦寿司
 *季節の天麩羅
 *蕎麦飯
 *石挽きせいろ
 *蕎麦粉和三盆
 菅野さんの蕎麦膳の七品の一つ一つは最高に美味しい。
 だから、その度ごとに女子の口から「わあ、美味しい♫」の素直な歓声が七回以上わき上がる。それは、私をふくめて男どもより、女子陣は料理に真正面から向かうからだと思う。それだから女子チームと食事するのは楽しく、料理が美味しくなる。
 《蕎麦搔》をいただいたときなどは感激して、蕎麦掻を作る鍋を「欲しい」と購入された。
 《蕎麦寿司》は、美しく、よく締まっているので麺の感触がしない。ほんとうに芸術品だ。誰かさんが「海苔の香が美味しそう」とか、「微かな酢の味が美味しい」と感嘆されていた。
 傑作だったのが、お酒の徳利と猪口である。徳利を傾けると、「ピー♪」と音が鳴る。徳利の肩にいる小鳥のあたりに穴が空いていて、それが笛のような音を発するのだが、実は猪口もそうだった。口を接し、お酒を吸い込むと「ピー♪」と鳴る。この洒落感には、みなさん感動・感激・大笑い。
 こういう遊びの美学を「洒落」と言い、浮世絵師「写楽」の名もこの「洒落」からきている。また「葛西のおしゃらく」とか「浦安のお洒落踊り」とかの江戸民俗芸能もまだ残っているし、さっばりした性格を「酒酒落落」という。江戸っ子菅野さんもその一人かもしれない。
 このとき菅野さんが「昨日は「後」さんの誕生日だったんだよ。乾杯しよう」とワイン瓶を持ってこられた。
 そして「乾杯!」と一口飲んだとたん、「ン、何これ?」「葡萄のジュースみたい♪」
 ラベルを見ると、「酸化防止剤無添加」、アルコール11%とある。確かに低いが、「ジュースみたい」いうのはアルコールの問題ではなく、葡萄100%の味がするという賛辞の声であり、「何これ」というのも「これなら何杯飲んでも頭が痛くならないだろう」との感激の声だったのである。
 こんな風で、あまりにも楽しく華やかだったので、店主も輪になって楽しんで、「いけネ~、料理しなくては」と厨房へ
 《天麩羅》は、お一人が海老アレルギーと宣言したためなのか、優しいい春野菜の天麩羅だった。
 さて、今日の主役の《蕎麦飯》の登場である。蕎麦米を蒸して乾かして、ほうじ茶で炊き、その上にとろろがかかっている。

 「何これ♪」「美味しい♪」と、真正面から向き合った、正直な賛辞が連続する。
 そして江戸蕎麦は蕎麦切の後が《蕎麦湯》である。五人だから湯桶二個。しかし、たちまちにして飲み干し、お代わりを追加とたところ、「後」さんが「う~ん。どうしよう」と考え込む。「ン?」と思っていたところ、「あの水は山梨から取り寄せた特別美味しい水なんですよ。分かりました作りましょう。」ときた。聞けば、先ほどのワインもそうだという。
 女子たちは「たくさん食べてお腹いっぱいなのに、スッキリしててまだ食べられるような気がするのは、そのお水のせいかも」とまた賛辞。
 そして今宵の賛辞・歓声は、最後の《蕎麦粉和三盆》まで続き、「後」さんからの「当店は和菓子屋の大黒屋です」の洒落で締められた。
 江戸中期の浮世絵師の北尾重政は「蕎麦切は江戸をもって盛美とす」(『絵本浅紫』)と言ったが、その言葉を借りれば「江戸蕎麦膳は大黒屋をもって盛美とす」といえるだろう。

                    ほし☆ひかる
              特定非営利活動法人 江戸ソバリエ協会理事長
                  農水省 和食文化継承リーダー