第902話 街を食べる
2024/06/24
親友の松さん(「蕎麦屋さんを元気に」代表)に頼まれて、7月に千葉市で「小説から読み解く和食文化」をお話する予定である。
内容は、幾つかの食べ物小説をご紹介するつもりだが、「千葉で」ということから、千葉県ご出身の村田紗耶香さんの短篇『街を食べる』で口火を切ろうと思っている。
彼女の小説の読後には何やら恐ろし気になることが多い。一番知られているのは芥川賞受賞作(2016年)の『コンピニ人間』である。初めはマニュアル通りにやることに抵抗しているが、そのうちにマニュアル通りに生きていく方が楽だということになる。とともに人間の質が段々堕ちていくという、怖い予告小説だった。昨今の機械化自動化が進んでいる企業の社員さんの接客態度を見ていると彼女の予告通りだということをしみじみと感じてくるのは私だけではないだろう。
この度、取り上げようとしている村田さんの『街を食べる』他が収録されている『生命体』の帯には、「文学史上、最も危険な短編集」と謳われている。やっぱり・・・と期待しながら、頁を開く
主人公の女性は、雑草である毒だみ草、大葉子、ハルジオン、クローバー(白詰草)、たんぽぽ、なず菜(ぺんぺん草)など街の路傍に生えている雑草を採集してきて、料理をする。例えば、
一、蕺草の味噌和え
一、蕺草炒め
一、大葉子の入った玉子焼き
一、春紫苑の葉とベーコンの炒め
一、白詰草のオムレツ
一、蒲公英の味噌汁
一、蒲公英の根の金平
一、薺の・・・。
といった具合だが、ただ小説の内容を紹介するだけの話では講師として能がない。私なりに小説のなかに入っていくためにと思って、これら雑草を絵にした。しかし蕺草、春紫苑、白詰草、蒲公英、ぺんぺん草は自宅や近所の公園で目にすることができたけど、どうしても大葉子が見当たらない。そこで小石川植物園に電話をして訊いてみると、「ある」と言われた。早速出かけていって、眼で確かめて描いたが、いかにも貧相で、一番雑草らしい雑草だった。
でも、絵を描くだけでは作者に近づけない。やはり一品ぐらい料理をしてみないとという気になった。
では材料の雑草はどれにしよう。大葉子は植物園のものだから、無理。春紫苑、白詰草、蒲公英、蒲公英、ぺんぺん草は公園のものだから不衛生のような気がする。じゃあ、わが庭の蕺草か。ちょうど若葉の色がきれいな時だと思って摘んで、洗って、茎を切り捨て、肉野菜炒めの最後の方にどくだみ草の葉を入れて炒めた。
この過程から作者の心に少し近づけたような気になってきた。
先に、公園の雑草は不衛生ではないかと述べた。しかし、村の田畑の栽培物と、街の野生物とではどちらが身体にいいのかというのが、この『街を食べる』の主題であることが理解できた。
聞くところによれば、これまでの慣行どおり農薬を使った農地は全国の99.4%、対して有機農地はわずか0.6%。したがって日本の農産物は海外の75%の国から危ない作物と評されているという。
エリカ・チェノウェス(ハーバード大学教授)は、「3.5%の人たちが本気になれば社会は変わることができる」と言っているが、もしこの説が正しいとしても0.6から3.5まではまだ遠い。これが村田さんの眼でもある。
そして、私は講演の機会を頂いたとき日頃、「人間と猿の境目は何だと思いますか?」と申上げ、「歌うこと、絵を書くこと、料理をすることは人間だけ」、さらに「人類の文明は、約1万年前に植物を栽培し、動物を飼育するようになったことから始まりました」とお話している。
とすると、栽培を否定した村田紗耶香さんの『街を食べる』は、人類の発展への挑戦という恐ろしい小説になる。
さて、どくだみ草の料理であるが、出来栄えは実に情けない。
そもそもが葉物というのは天麩羅にしても、炒めてもだいたいそうなる。たから、葉をたくさん使って《生のままのサラダ》か《お浸し》あたりが相応しいと思いはしたものの、風味が強烈だから、和らげるつもりで炒めてみた。だが臭いはやわらいでくれたものの、やっぱり味覚は強烈だった。たぶん、どくだみ草の逸品は村田紗耶香さんのもっとも危険な小説の象徴だったのかもしれない、というのが後味感である。
ほし☆ひかる
エッセイスト