第257話 六官学習
「深大寺そばの学校」というのがある。
1)蕎麦栽培、2)蕎麦打ち、3)蕎麦の歴史を学びつつ、江戸時代から「深大寺蕎麦」として知られる深大寺地区を応援しようというわけである。
校長は深大寺の張堂住職、副校長は「門前」の店主浅田さん、事務局長は深大寺の執事林田さんだ。
縁あって、私も3年前から蕎麦談義の時間を担当させていただいている。その1年目は普通の座学式でさせてもらった。
しかし2年目から、グループディスカッションを取り入れてもらうようにした。
というのは、日ごろから私は、座学というものをもっと体験的方法でできないものかと考えていたから、浅田さんや林田さんにご相談し、そうさせてもらった。
ディスカッションの材料としては、深大寺地区にとっての財産である『江戸名所図会』の挿絵「深大寺蕎麦」をどう観るか? である。
それをグループ別にディスカッションして、発表してもらおうと思った。これも一種の体験学習方式であると思う。
ヒントは幸田露伴の小説『観画談』だった。主人公が画を観ているうちに、絵画の中に入っていってしまうような錯覚に襲われるといった内容だった。
同様に、皆さんにも長谷川雪旦が描いている深大寺蕎麦を食している席に共に座してみないかというわけだ。
考えてみれば、蕎麦栽培も、蕎麦打ちも体験学習である。なら、蕎麦談義も体験学習できるはずである。それが絵画なら具体的で都合がいい。
というわけで、皆さんに『江戸名所図会』の「深大寺蕎麦」の世界に入ってもらうことにした。
雪旦の画を見ながら、六官 ― 聴・視・触・味覚を研ぎ澄まし、5W1Hの翼を広げてもらい、さらにはディスカッションしてもらうのである。
サラリと頁をめくるより、より関わりが深くなるはずである。そもそもが、食べ物そのものが見るだけのものではない。六官で味わい楽しむものだ。
話は飛ぶようだが、一時「江戸ソバリエ認定講座をネットでやればいいのに」とのご意見をかなりいただいた。でも、今はそんな声は全くなくなった。
「お蕎麦は食べてみなければ始まらないでしょう」、あるいは食べ物は六官で体験することが原理原則だということが分かっていただいたようである。
〔「深大寺そばの学校」講師 ☆ ほしひかる〕