第918話 「深大寺蕎麦」定義への足掛かり

      2024/10/21  

第12期深大寺そば学院研究発表会から

  令和6年10月、第12期深大寺そば学院の研究発表会が5班に別れて行われた。いずれも的を得た興味深いテーマを設定されていたことに感心した。
   ただ、お話をうかがって、「深大寺蕎麦」の定義が必要、またはそれを望んでおられることを感じた。

 そこで、先ず定義に関して気付いたこと。
 深大寺蕎麦を有名にしたのは『蕎麦全書』と『江戸名所図会』だといっても過言ではない。だからこの二冊は深大寺そば学院の教科書といえると思う。
 「深大寺蕎麦とは?」と考えるとき、それは1)深大寺寺方振舞蕎麦と2)深大寺門前商い蕎麦があるから、分けて考えなければならない。
 先の『蕎麦全書』には1)寺方振舞蕎麦と2)町方商い蕎麦について触れてあり、『江戸名所図会』では1)深大寺寺方振舞蕎麦の紹介であるから、そういう意味でも両書は参考になるだろう。
 ただし、寺方振舞蕎麦は歴史上の蕎麦である。だから、深大寺蕎麦とは?というとき、深大寺門前商い蕎麦だけを考えればよいと思う。そのときに商い蕎麦には門前蕎麦と町方蕎麦に分けられることから、「門前蕎麦」であることが深大寺蕎麦の定義の一つになる。「門前」となると地域性が伴うから、深大寺蕎麦は郷土蕎麦の範疇ということになる。いま「郷土蕎麦」その前に「郷土食」の定義は明確ではない。

 そして、商い蕎麦(町方蕎麦)の代表が江戸蕎麦であるが、次の発表(つなぎ、つゆ、白磁蕎麦猪口)がまさに江戸蕎麦のポイントであった。
 《町方商い蕎麦=蕎麦屋の蕎麦》は江戸で始まり、①つなぎの工夫、②美味しい蕎麦つゆの開発③白磁蕎麦猪口の使用によって、二八蕎麦と付け汁という独自の江戸蕎麦が完成した。
 よって、同じ《町方蕎麦》であっても《門前蕎麦》と《江戸蕎麦》の相違を明らかにすればとよい思う。
 これからの学院の皆さんに期待したいところである。

深大寺そば学院 學監
ほし☆ひかる

写真:深大寺そば守観音像