旧奉天市(現瀋陽市)鐵西工業地帯の概況のまとめ
執筆者:編集部2
内地から多くの食品関連企業も進出していた旧奉天市鐵西工業地帯の一般概況を数字でみてみたい。戦争が激しくなってからの情報は殆ど公表されていないため、ここでは主として康徳7年(昭和15年5月)に発行された鐵西事情案内(奉天市公署)に記載されている資料から康徳6年(昭和14年)現在の数字を紹介する(康徳7年には約900万平米の追加拡張が予定されていて、その後も敗戦まで更なる拡張が続いていた)。なお、現在では使用をはばかられる用語も用いられているが史的資料なのであえてそのまま引用する。他意はない。
面積
総面積 | 17,985,000m2 |
工業地域 | 12,885,390 |
商業地域 | 297,620 |
住宅地域 | 2,882,697 |
官公署学校用地 | 298,210 |
公園緑地道路用地 | 2,385,678 |
(康徳6年/昭和14年現在)
人口の内訳
戸数 | 男 | 女 | 計 | |
日本人 内地
朝鮮 |
1,416
245 |
3,809
679 |
2,381
487 |
6,190
1,166 |
満人 | 9,148 | 28,686 | 17,527 | 46,213 |
外国人 | 1 | 3 | 3 | 6 |
計 | 10,810 | 33,177 | 20,398 | 53, 575 |
(康徳6年10月1日奉天市戸口調査)
土地分譲価格(平米)
工業地 | 一等地(鉄道引込線利用可) | 3.00円 |
二等地(引込線利用不可) | 2.70円 | |
三等地(引込線利用不可で土地不正形) | 2.50円 | |
商業地 | 一等地 | 8.70円 |
二等地 | 6.50円 | |
三等地 | 6.00円 | |
住宅地 | 一等地 | 6.00円 |
二等地 | 5.50円 | |
三等地 | 5.00円 | |
四等地 | 4.50円 |
康徳6年5月現在の労働賃金は、満洲人男1円、満洲人女51銭、内地人男3円50銭、内地人女1円60銭、朝鮮人男1円36銭、女65銭、其他男2円14銭、女1円12銭となっていて、女性の賃金は男性の半分乃至それ以下、朝鮮人は日本人の1/2以下、中国人は日本人の1/3以下である。
男子賃金を業種別に見てみると
満洲人 | 内地人 | 朝鮮人 | |
交通業 | 1.38 | 2.74 | 1.70 |
運輸業 | 1.34 | 3.15 | 1.30 |
土建業 | 1.27 | 4.16 | 2.45 |
鑛業 | 0.94 | 3.38 | 1.01 |
工業 | 0.90 | 3.51 | 1.45 |
さらに、工業を細分してみると
紡織工業 | 0.66 | 4.50 | 1.02 |
金属工業 | 1.20 | 4.19 | 2.11 |
機械器具工業 | 1.13 | 3.29 | 2.15 |
窯業 | 0.98 | - | - |
化学工業 | 0.91 | 2.95 | 1.78 |
食料品工業 | 0.78 | 3.46 | 1.01 |
電気及瓦斯工業 | 1.12 | 2.96 | - |
雑工業 | 1.12 | 3.22 | 1.50 |
(円、康徳6年5月調査)
この賃金統計には時給か、日当か、週給か月給かが明示されていないが、常識的に考えて日当と推定される。内地人(日本人)の給与水準が際立って高いことが目立つが、内地人は殆どが熟練工である、との記述がある。また、『満支人(中国人)労働者はきわめて移動性が高く少しでも高い労銀の方へ流れる傾向あり、工場経営者は之が足止めに悩まされている現状である。』との記載があり、現今の中国事情とも共通するところがあったやに見受けられる。
現地人、朝鮮人、日本人の間に何かと格差があったことは否定しようのない事実で、筆者のおぼろげな記憶では、配給通帳も日本人用は青表紙、朝鮮人用は黄表紙、満人用は赤表紙で、それぞれ青刷り通帳、黄刷り通帳、赤刷り通帳と俗称されていた。ある時点で、白砂糖の配給は青刷通帳は一人一ヶ月500g、黄刷通帳は300g、赤刷通帳はゼロだったと記憶する。
小売市場について
鐵西の小売市場施設は、自然発生的に市場形態をなしているに留まり改善改築の必要があるので、当局としても近く巨費を投じて対策を講じる予定としている。昭和14年当時の小売店数は37で主として地場ものを取り扱い、新鮮なことは奉天一と記している。月間の売り上げ数量、売上高としては
売上数量 | 売上高 | |
鮮魚 | 250キロ | 800.00円 |
肉類 | 1,427キロ | 1,998.80円 |
卵類 | 800個 | 40.00円 |
蔬菜 | 81,449キロ | 6,289.90円 |
計 | 8,628.70円 |
という数字が掲載されている。
(鐵西工業地帯の開発の経緯・歴史などは何れ稿を改めて記したいと思う。)
(平成22年12月27日記)