蕎人伝⑰親鸞 古くから蕎麦にまつわる伝承というのは幾つかある。そのなかで確かな事として最初に出てくるのは奈良時代の元正天皇 (680-748)の詔である。これは『続日本紀』に正史として記録されてあ…
☆神田須田町 食散歩
時代小説家(ソバリエ)の高田さんと、食に詳しい編集人(ソバリエ)の青野さんの三人で、蕎麦の歴史や時代考証などを語り合おうということでお会いすることになりました。
そこで私が「神田まつや」でと提案しましたら、青野さんがそのあとは「神田竹むら」にとおっしゃったので、図らずも神田須田町食散歩ということになりました。
須田町の景観は、ご存知の方はご存知かと思いますが。時代小説にふさわしい街並で、神田まつや、竹むら、いせ源、ぼたん、そして神田やぶのいずれの建物もほっとする懐かしさと貫禄に満ちています。また少し歩けば、昔は神田青果市場もありましたから、往古を想像すれば江戸の街並になるでしょう。
それに私の拙論ですが、江戸の蕎麦切の初見といわれる『慈性日記』にある常明寺は神田藪あたりではなかったかと想定したりしています。
この日、私たちが頂いた、まつやの《花巻蕎麦》や《天盛り》、竹むらの《粟ぜんざい》は蕎麦麺や穀物の由来を想わせるに十分にな逸品です。
《花巻》は蓋を開けると、つゆと磯の香が鼻先に漂う仕掛けになっています。これが江戸の香りなのです。
《天盛り》は、もともと天婦羅が江戸湾の小海老から始ったことを物語っています。野菜揚げは現代になってからのことのようです。
そして粟の感触を口にしながら、麺の祖は、小麦ではなく、粟・黍・蕎麦だったことを偲ぶことができます。
こうして、三人は須田町を離れ、ついでながら金座(日本銀行)を抜けて、日本橋浮世小路の江戸料理「百川」あたりまで歩いて行きました。
そのうちに今日の街歩きが、高田さんの小説に何がしかの形で描かれることでしょう。小説化された街を行くことは多いでしょうが、小説になる前を歩くなんてめったにありませんね。

☆銀ブラしない銀ブラ
神保町散歩の2日前、私が最も敬愛する友人Skさんと小松庵銀座にいました。
先述の高田さんは抜群の実行力をおもちの方、青野さんは幅広い食体験はむろんのこと、物事の本質をずばりと見抜く方です。私はお二方からいろんなことを学びました。
一方のSkさんは全身感性の人です。一緒に街を歩いていて辺りの何でも興味をもたれて感激される楽しい人です。これまで目白や千歳烏山を一緒に歩きましたが、素敵な時間を醸してくれる人です。
「蕎麦店は街とともに在る」というのは神田藪の堀田会長のお考えですが、私たちも街を理解すれば食も楽しくなるということになるのでしょう。
そんなこともあって私は、Skさんとご一緒して「街を食べる」という世界を知りました。
今日の銀座の小松庵もまた、銀座らしい雰囲気のあるお店です。
ほぼ一か月半ごとに店内で個展が催されていますが、現在は画家の堀由樹子の絵がたくさん飾られています。当店は、絵の中でお蕎麦をいただける店なのです。
そういえば、お店に来る途中に小さな映画館がありました。和光の裏になります。ポスターには『ヴィバルディと私』の放映中とありました。その話をきつかけに二人は映画の話になりましたが、有楽町の方の映画館では『プラダを着た悪魔2』も放映されているはずです。もし主演女優のメリル・ストリーブがこの店の席に座したとしても似合うだろうと想像しましたが、当店の奥の部屋にはピアノやレコードが置いてある特別室があります。メリル・ストリーブはあの部屋の方がお似合いでしょう。
