伊藤忠食品が取り扱うワイン「MIONETTO Valdobbiadene DOCG Prosecco Superiore」が、2018年1月29日から1月31日までの3日間、ウェスティンホテル東京で行…
あまりご存知ないかもしれませんが、最近「幻の江戸の山葵」として注目されています。
江戸ソバリエ第一期の竹内さまのご案内で野川沿いにある箕輪家の古民家の山葵田を拝見する機会がありました。
大沢山葵は、この箕輪家の当主箕輪政右衛門(旧姓:小林宮吉)が始めました。
宮吉(政右衛門)は文化・文政のころ、伊勢で生まれたとされています。それが江戸に出てきて、箕輪フデと結ばれ箕輪家に入ったそうです。政右衛門は大沢の湧水を見て、故郷の伊勢五十鈴川の山葵をここで栽培しようと思い付き、始めたのでした。
江戸で山葵は、主に《ざる蕎麦》(1751年ごろから登場)と《握鮨》に使いますが、両国橋の與兵衛《握鮨》が考案したのは文政(1818-30年)のころです。ですから、文化・文政生まれの政右衛門が大沢山葵成育に成功した当初は、先ずは蕎麦屋に卸していたのかもしれません。その後、《握鮨》が人気となって、政右衛門の事業は大いに発展したのだと思われます。
ただ残念なことに昭和40年代になりますと湧水が激減してきたため、当家は商業的な山葵栽培をついに終了し、自家用として細細々と栽培を続けられてきました。そして5代目当主は主屋を三鷹市に寄贈されました。山葵は現在の古民家の右手奥の地に雑草とともに自生していました。
そこで三鷹市は、山葵の遺伝的研究をされている岐阜大学の山根京子準教授にDNA鑑定を依頼しました。そうしますと、大沢の山葵は岐阜西南部の山奥であることが分かりました。それが伊勢に伝わり、そして三鷹大沢へと数百年の旅をしてきたのです。
山葵は現在、真妻、だるま、島根3号の3系統に集約されているといいますが、大沢山葵は鑑定によって単一の品種であることが判明しました。
現在、食物用栽培植物は、食べて美味しい、生産に効率的な物に一極集中の傾向にあります。たとえば、稲は高度成長期までは1000種類ほど栽培されていましたが、現代ではすべてコシヒカリ系に集中し、100種ほどしか栽培されていないといいます。これは別の視点から見ますと大変危険な状況にあります。仮に集中した穀物が病気になった場合、とたんに日本は食料危機に陥るわけです。そういう意味で、三鷹大沢山葵は貴重な存在です。ですから、いま社会的に再び目覚めようとしている大沢山葵は大切なわけです。
さて、竹内さんたち、三鷹大沢山葵のためにポランティア活動をされている人たちは、そろって「三鷹大沢山葵は美味しいから。ぜひその時季には食べに来てほしい」とおっしゃいます。そう言われますと、聞いただけで美味しさまちがいなしのように思えてきます。あとは、《ざる蕎麦》向きか、《握鮨》向きかが、ひじょうに気になるところです。

写真:〔三鷹大沢山葵〕と〔竹内さまからいただいた礼状〕
ほし☆ひかる