第323話 自由亭の珈琲と長崎の鐘 ♪
久しぶりに長崎を訪れ、海を見下ろす丘にある喫茶室で珈琲を飲んだ。
喫茶室の名前は「自由亭」。それは明治時代に日本人シェフが最初に始めた西洋料理店として知られている。
その日本人シェフは草野丈吉(1839~86)といった。軍艦「ブレッキカセロット号」などで西洋料理を学び、21歳で出島オランダ屋敷の専任コックになった。
幕末から明治にかけての志のある者たちは、同じく志のある者たちとの出会いによってさらに人間が大きくなっていった。草野丈吉もそうであった。
文久3年、草野24歳のとき、五代友厚(1836~85:元薩摩藩士、実業家)の勧めで日本初の西洋料理専門店「良林亭」を自宅で開業。その後「自遊亭」と改名し、さらには佐野常民(1822~1902:元佐賀藩士、元老院議長、日本赤十字社初代社長)の勧めで「自由亭」と改称。そして39歳のとき、草野は長崎市馬町に本格的西洋料理店「自由亭」を開業した。
当時の「自由亭」は各国賓客の洋風接待所として利用されたという。アメリカ大統領グランド夫妻、イタリア国王、ロシア皇太子などが訪れたというから錚々たる顔ぶれである。
メニューは、パスティ(肉入りパイ)、牛のソウパ(牛のスープ)、フルカデル(豚肉饅頭)、スシス(豚の腸詰)、鶏のケルリイ、ハーズ(兎の丸焼)、ゴウレン(魚の揚物)、カアレイ(カレー)、アルダフル・ストーフ(じゃが芋のバター焼)、カアヒイ(コーヒー)などであった。
この後、東京では明治元年に「築地ホテル館」、明治5年に横浜「崎陽亭」、東京「精養軒」などが西洋料理店として開業した。
「自由亭」の方は草野の永眠によって閉店したが、「明治維新は食の維新」ともいわれるその魁としての「自由亭」の存在を忘れてはならないというわけで、昭和になって建物は現在のグラバー園に移築され、喫茶室「自由亭」として蘇った。
グラバー園の手前に並ぶ大浦天主堂は共に長崎観光の要所であるが、「食」に関わる者としては、「自由亭」のこともお忘れなくと言いたい。
ところで、ずっと以前のテレビ放映だったが、この大浦天主堂で歌っておられた鮫島有美子さんの「長崎の鐘」に大変感動したことがある。それ以来、あのときの歌声がずっと耳から離れない。
だからだろうか、今日こうして「自由亭」で珈琲を飲んでいると、あの「長崎の鐘」の歌が隣の大浦天主堂から聞こえてくるような気がするのだが・・・。
〔エッセイスト ☆ ほしひかる〕