第160話 「蕎麦切は江戸の水によく合う」

     

食の思想家たち七、松尾芭蕉

 嵯峨野、嵐山へは、京都市内からは嵐電で、亀山からはトロッコ列車で行く。

 【嵐電とトロッコ列車 ほしひかる

 駅を下りて渡月橋の上に立つと、いつも桂川の水の匂いが心身を爽やかにしてくれる。この嵯峨野には、芭蕉の高弟去来(1651-1704)の別邸だった落柿舎がある。私がそこを訪れるは2度目だ。

 【落柿舎

 最初のときはもう15年ぐらい前になるだろうか。

 俳聖松尾芭蕉(1644-94)がこの落柿舎で弟子たちを前にして言ったとされている「俳階と蕎麦切は江戸の水によく合う」に触発され、「江戸ソバリエ認定事業」を企画しようと決心したころだった。

 それまでは「蕎麦」にするか、「江戸蕎麦」にするか、迷っていたのであるが、芭蕉の「江戸の水のよく合う」という言葉を知って、「江戸」に方向を定めたのであった。

 ところがである。書かれたものを見ると「云ったとされている」ていどに留めている慎重な人もいるが、出所を明記せずしてハッキリと断言している乱暴な人もいる。以来、芭蕉のこの有名な台詞の出典を調べてみるがはっきしない。

 そこで、これは素人では無理だろうと、ある先輩を通じて某大学の芭蕉研究家に相談をしてみた。知人は「あの先生は頑固な方で、俳人は芭蕉と子規ぐらいしか認めていない人だから、そのつもりで」とお会いするにあたっての心得を教示されたが、案の定だった。

 「何しに来た」と言わんばかりに、「近ごろは陸に勉強もしないで、私は俳句をやっていますというような顔をしている連中ばかり。だから雑誌の巻末は駄作の氾濫だ」と耳が痛くなるようなお説教が縷々続いて、やっと!「それで?」と訊かれた。

 事情を説明すると、大先生はすぐに支考の著書を持ってきてくれた。

 それを読むと、確かにそれらしき発言が記載されてある。私は小踊りしたいほどであった。

 大先生はといえば、そうした蕎麦事情はご存知なかったらしく、一転して素直に私の話に耳を傾けられたから、驚きだ。

 芭蕉が江戸に入ったころは江戸もまだ若かった。したがって江戸の俳階も未発達の段階で、その世界の大御所は関西にいた。そうした発展途上的状態は蕎麦切もまったく同じだったが、そのことに芭蕉はある所で気づいたのだろうというのが私の想像である。

 そのある所とは・・・・・・、神田上水の工事現場であった。1677年から芭蕉は、旧主筋に当たる藤堂家の神田上水工事に現場監督として参加、3年間現在の「関口芭蕉庵」と呼ばれている所に住んでいた。その江戸開拓事業に汗を流しながら、33歳の彼は「俳階も蕎麦切もこれからだ」との志を固めたのではないだろうか。

 先生は私の話を黙って聞いておられたが、「証拠がないから学者の私は認めるわけにはいかない。しかし、小説とするなら面白い」とだけ言われた。

 それから私は芭蕉が発言したという「落柿舎」を訪ねたのである。

 「落柿舎」の門には、有名な「制札」が掲げてあるし、蓑笠も掛かっている。「制札」は芭蕉が書き、蓑笠は去来の在不在を表すものだったという。

 制札

 蓑笠☆ほしひかる絵

 芭蕉は元禄2年、4年、7年と3回、「落柿舎」を訪れている。そのうちの元禄4年の旅日記が有名な『嵯峨日記』である。そして元禄7年の閏522に芭蕉は「落柿舎」で、酒堂、去来、丈草、素牛らと会しているから、「蕎麦切は江戸の水に合う」という江戸ソバリエにとって予言のような言葉を吐いたのも、このときだったろうと私は推定している。しかし、この年月日を探し当てるまで約5年、芭蕉関係の本は50冊以上は調べただろう。だから、そう簡単にその出典は明かしたくないというのが、正直な気持だ(笑)。

 さて、舎は小さな庵である。玄関、土間、二帖、二帖、三帖、四帖半しかない。その、どの部屋で芭蕉は弟子たちと語ったのだろうか。

 そんなこと想像していると、神田上水工事に従事していた若き日の意欲的な姿と、後世「俳聖」と称される芭蕉像との段差がなかなか興味深い。

 「証拠がないから学者の私は認めるわけにはいかない。しかし、小説とするなら面白い」。そう。この段差をなくすには、まさに証拠を探すか、小説を持ってくるしかないだろう。

 そういえば・・・、私はこの台詞を何度か言われたことがある。その一度目が芭蕉の大先生である。二度目は「江戸の常明寺の場所は日枝神社」と想定したときだった。そのときも仏教大学の先生からも「証拠がないから学者の私は認めるわけにはいかない。しかし、小説とするなら面白い」と、全く同じことを言われた。

 だからこそ、学者でもなく、作家でもない私は、この妄想に変な自信をもっている次第である。

 参考:関口芭蕉庵(文京区関口)、落柿舎(京都嵯峨野)、『十論為弁抄』、松尾芭蕉「嵯峨日記」(岩波文庫)、ほしひかる「蕎麦切は江戸の水によく合う」(『日本そば新聞』)、堀切実『支考年譜考証』、

 「食の思想家たち」シリーズ:(「蕎麦談義」160話松尾芭蕉、151話 宮崎安貞、142話北大路魯山人、138話 林信篤・人見必大、137話貝原益軒、73話 多治見貞賢、67話村井弦斉)、 

 電車シリーズ【嵯峨野トロッコ列車】【嵐電】(「蕎麦談義」160話)、

 【比叡山ケーブル】(「蕎麦談義」146話) https://fv1.jp/chomei_blog/?p=3160

 【都電】(「蕎麦談義」123話) https://fv1.jp/chomei_blog/?p=2594

 【サンフランシスコのケーブルカー】【ナパのワイントレイン】( 江戸ソバリエ協会サイト - 国境なき江戸ソバリエたち「明日に架ける橋」) http://www.edosobalier-kyokai.jp/kokkyou/ko_hoshi_mensekai.pdf

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕