第141話 啜って食べるのが日本流
☆なぜ日本人だけが啜るようになったのか?
日本人は箸だけで物を食べる民族である。
箸という道具はなかなか便利で、西洋のフォーク、ナイフのような機能を併せもっている。ただスプーン機能だけが弱い。
だから中国や韓国の人たちは箸の他に匙を使うが、日本人は箸だけで食べる。その代わり、補助として椀(碗)を小さくして手に持つようになり、さらに汁などは啜るようになったのである。
ちなみに、われわれの食事作法は、椀(碗)を持つためにそれを手前に置き、皿類は向側に置いて手で持ってはいけないということになっている。
箸は、もともと麺を食べるために中国で考案されたもので、それまで古代中国では匙を使っていた。
ところが日本には箸が伝わってきた。九州の邪馬台国では手で食べていたという記録が『魏志倭人伝』にあるし、『古事記』には箸の話が記載されている。
そんなところから、弥生初期は手食だったわれわれは、遅くとも飛鳥時代には箸で食べるようになったと思われる。前後して匙も伝来したのであろうが、主食である水で炊いたジャポニカ米は、ほどよく柔らかいので箸の方が食べやすかったから箸だけになったのである。
そして・・・、時代は下って室町時代に、ソーメン、うどん、蕎麦などの麺が伝わってきた。そのとき本来の箸の機能が十分発揮され、日本人は麺を箸でつかみ、そして啜って食べるようになった。
その観察録が残っている。戦国時代に日本にやって来たルイス・フロイス(1532-97)の著書『ヨーロッパ文化と日本文化』である。
それにはこうある。
・われわれ(ヨーロッパ人)はスープがなくとも食事をする。
日本人は汁がないと食事ができない。
・われわれは麺を食べるのに、熱くて、切ったものを食べる。
彼らはそれを冷たい水に漬け、極めて長いものを食べる。
・われわれは口で大きな音を立てて食事をしたり、葡萄酒を一滴も残さず飲み干したりすることは卑しいとされている。日本人はそのどちらも礼儀正しいと思われている。
ここから音を立てて啜り、麺を食べている戦国時代の日本人の姿が想像できるが、フロイスが具体的に「啜る」ことを追及していないのは当然である。啜ることを知らない彼は、それに気付かなかっただけである。
☆啜って食べるメリットは何?
NHKの「解体新ショー」という番組での実験で、蕎麦を噛んで食べたときより、啜って食べた方が香りが鼻腔に達して香りを味わえることが明確になった。われわれの先祖は科学的根拠は知らなくても経験から「味とは香りである」ことを知っていたのである。だから蕎麦は、啜って食べるのが粋な食通とされ、そのために蕎麦を打つときも啜りやすいように、細切り、二八へと進化し、それが粋な「江戸蕎麦」となった。
要するに、蕎麦通は香りという先行信号(嗅覚)で美味しさを先取りしているのである。
よく知られている実験に、≪鼻を摘んで目を閉じると、何を食べているか判らない≫というものがあるが、これなどはその裏返しの証明になるだろう。
もちろん先行信号として先取りできるのは美味しい香りばかりではない。口にする前に「臭い」と察知する危険信号(嗅覚)もとくに湿気の多い日本では大切だ。
湿度と香りの関係は、多数指摘されており、湿度のある所は、ない所の約三倍の香りを感じるという。
そういえば、「Heston’s Mission Impossible」という料理番組では、香りをよく嗅がせるために鼻腔に噴霧器で水気を送るようなことをやっていた。鼻の奥の襞の嗅粘膜を濡らすためであろうが、湿気の日本人から見ると「何もそこまでしなくても」と失笑するほどであった。
ということは、湿気の多い地域では嗅覚の鋭い人間が育つということになるのかもしれない。
そうすると、啜るという食べ方は箸のせいばかりでなく湿度とも関係が深いということになる。
それゆえに、湿度の高い日本列島に住む日本人は、「啜る」ことが正当な食べ方ということになる。
それなのに、明治以来の日本では啜る食べ方が行儀が悪いかのような見方がされてきた。それは明治維新の革命者の指導によるものだろう。彼らは揃って〝味覚音痴〟だったといわれているが、それでなくても彼らは徳川時代の文化を破壊するのが務めだった。そのために西洋料理を礼讃し、日本の伝統料理を否定、ひいては日本料理の作法を野蛮とした。
以来、その傘の下から動こうとしないわれわれだが、もうそろそろ明治時代の卑屈な教育から脱しなければなるまい。それがほんとうの日本に根付いた食育ということになるだろう。
参考:NHK「解体新ショー」、日本テレビ「コレスタン」、NHK「Heston’s Mission Impossible」、児玉定子『日本の食事様式』(中公新書)、蕎麦談義第139話、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕