第458話「蕎麦は江戸を盛美とする」
2017/11/26
「講師の先生をご紹介します。先生は蕎麦職人の育成講座を始められ、これまで育てられた数は約1500人・・・、」
聞いてビックリの内容だが、蕎麦界と関係のない会では、ときどきこういう間違った紹介をされる。
なぜかというと、一般の人にとっては「蕎麦といったら蕎麦屋さんが作るに決まっている」という先入観あるいは常識観から、素人の蕎麦打ちの世界があることも、ましてや段位まであることも、およそ無縁のこと。だから、いくら「素人の会だ」と言訳しても、ご自分の認識に疑いは全くないとばかりに馬耳東風、いつもニコニコして頷いておられるだけ。
ほんとうに困ってしまうが、さらにもうひとつ誤解があるのが、「蕎麦は田舎が本場」という常識観をもたれていることである。
それはソバという植物の本場と、麺の蕎麦との区別がないから、ばくぜんと蕎麦は地方の物と思っておられるせいだろう。
それを払拭してもらうために、今日のお話は「蕎麦は江戸を盛美とする」という演題にした。
そんなわけで、先ずは「確かに牛肉牛は宮崎などが本場、たからといって宮崎がステーキの本場とはかぎらないでしょう。東京のレストランなどにいる一流のシェフが宮崎牛を上手にステーキにしてくれるから美味しいでしょう」という話から入ると、食材(ソバ)と料理(蕎麦打ち)は違うのだナということに少し頷いてもらえる。
「そのレストラン、つまり日本で外食屋が登場したのは、江戸初期の江戸において、奈良茶屋や蕎麦屋が最初だった。彼ら職人たちは、お金を頂くために、商品としいの蕎麦麺を完成させていった」と、ここまでは分かってもらえる。
そこで「茹でムラをなくすために打ち方を・・・」などとお話しても、たいていの人は蕎麦を打ったことも、茹でたこともない。だから、茹でムラなんていうことは通用しない。
で、どう申上げればいいかというと、「蕎麦屋さんに行ったら、お品書を見てください。そして注文するとなると、《ざる蕎麦》《かけ蕎麦》《鴨なん》《天ぷら蕎麦》・・・とか、あるいは《変わり蕎麦》(柚子切、茶切、蓬切・・・)などの品にするでしょう。こうした蕎麦屋の定番品は何処で生まれたのでしょうか?」
「・・・・・・、」
「答えは、ほとんどが江戸で誕生した一品です」。
つまり、《かけ蕎麦》と《鴨なん》は日本橋、《ざる蕎麦》は東陽町、《たぬき蕎麦》は広尾、《おかめ蕎麦》は池ノ端、《いなか蕎麦》は両国。ただし《天ぷら蕎麦》については特定できないが、《天ぷら》その物が江戸の発明だから、《天ぷら蕎麦》も江戸生まれだ。他に江戸前の魚介を使った《穴子なんばん》《あられ蕎麦》も当然、江戸の蕎麦屋の江戸蕎麦です。」
やっと、皆さんは「言われるまで、蕎麦屋のメニューが何処生まれたかなんて気にもしてなかった」とおっしゃったので、「こういう江戸の蕎麦状況を指して北尾重政という絵師が『蕎麦は江戸を盛美とする』(1769年)と言い遺しているのです」と話を締めた。
〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕