第211話 流氷とクリオネの国

     

お国そば物語⑯オホーツクのダッタン蕎麦

 

 オホーツク紋別空港は積雪に囲まれていた。「北海道」、と聞いただけで九州生まれの私は、積雪の森と湖、流氷の海 ― まるで異国のような景観が広がる。そればかりかこのオホーツク海沿岸は日本の最北端。そこに来ただけで身体中に戦慄が走るのは寒さのせいばかりではないだろう。

 空港にはSさん(北農研)が迎えにみえた。そこから彼の車でオホーツク海沿岸の雄武町へ向かう。町が取組んでいる新種のダッタン蕎麦『満天きらり』に、アンケートなどで協力したご縁から、代表して江戸ソバリエ協会顧問のI先生と江戸ソバリエ・ルシックのMさんと3人でダッタン蕎麦の栽培地である雄武町を訪ねようというわけである。

 幸い今日は好天に恵まれていたが、走る道路も、左の山野も、右の海も雪で真っ白、そして真冬の海に流氷が見える。

 最初に訪問したのは、興部町にある小林食品の工場。興部(オコッペ)の町名の由来は、聞いたところによるとアイヌ語で「オは川尻、川尻が互にくっついている」という意味だそうだ。雄武町も、「ムは塞がる。だから川尻が塞がる」という意味があるらしい。似たような語源だが、北の民にとってそのような地形に何か重要な意味があったのだろうか。

 小林食品さんはアンケート用の試作麺を製造した会社だ。工場の詳しい内容は公開できないかもしれないが、製造方法においてお客様に訴えてもいい点があるように思った。

 それから、雄武町の日の出岬に寄って、ホテル『日の出岬』に至った。このホテルは朝起きたとき日の出が見易いような設計で建てられているという。それでお分かりであろう。この町は日の出が名物なのである。

 流氷と日の出 ☆挿絵ほし】

 夕食は『満天きらり』に携わった人たちのとの会食会だった。

 彼らと話していると、在職の頃を思い出す。新製品を売り出した時、最初に買ってくれるのはだいたい九州か、北海道、その次が東京だった。それから西日本から順に東日本へと広まっていくのが常であった。

 こうした持前の進取の気象から、新種のダッタン蕎麦の協力者として雄武町は名乗りを上げたのだろう。

 そして次の日は町役場を訪問し、ダッタン蕎麦畠を見学、といっても大雪に埋もれた真っ白の畠である。それでも見て、ダッタン蕎麦畠の広さを実感してほしいと言う。

 しかしながら、この度の視察はダッタン蕎麦の具体的な勉強ではない。あくまで、『満天きらり』に取り組もうという雄武町の人たちと現地で会ってみたいということと、オホーツク海沿岸を丸ごと感じるためにやって来たのであった。

 これまでの経験から、何かを始める前とか、転換期には、知識や理屈よりも、物事を大所高所から見ることが必要だと思う。「大所高所から見る」とは、よくいうが、それは現地に来てもダッタン蕎麦から離れてみて、〝オホーツクの心臓〟とは何かを探すことである。だから、もっとも北海道らしい極寒の2月にオホーツク行きを選んでみた。そして、オホーツクといえば「流氷」だ。機会があれば乗りたいと思っていた、砕氷船「ガリンコ号」に紋別で乗船した。

 砕氷船ガリンコ号」 ☆挿絵ほし】

 ガリンコ号は氷を砕きながら、進んで行く。こうして流氷の海に出て、北海道北部千島列島 カムチャッカ半島樺太、黒龍江、 間宮海峡(韃靼海峡)の方角をグルッと眺めていると、5~10世紀ごろ、この「 オホーツク海圏」にオホーツク人という海獣狩猟の民がいたという話が信じられてくる。

 そういえば、だいぶ昔に南方の、沖縄台湾、中国(上海)、韓国に行ったとき、その海岸に立って九州の方を眺めてみたことがあった。その海を東シナ海というが、そのときも今と同じように、古代には「 東シナ海圏」を和寇のような民が暴れ回っていたのかもしれないなどと妄想しながら、水平線の彼方を眺めたものだった。

 いま私がいる、この北の海には黒龍江の水が注いでいるという。その量が多過ぎると、オホーツク海の上層が淡水になる。そしてその淡水が凍ると流氷が作られ、目の前のような景色となる。

 そればかりか、この淡水はオホーツク海上層の塩分を薄め、それが特有の寒冷海面となるらしい。そこへ南から湿った風が吹いてくるようなことがあれば、夏の濃霧を生んで、凶作を引き起こす。しかし、この寒冷な海水は千島列島の間を通り抜けて太平洋に流れ込み、北のベーリング海から南下する寒流と合流すると、酸素や栄養塩が豊富な親潮に変わる。この親潮が、鮭、蟹、鱈、帆立貝、北寄貝などをよく育てる宝の海へと変化するらしい。これがオホーツク海である。

  船から下りて、今度は水族館でクリオネを見た。クリオネの体長はわずか2cmほど。身体は半透明で体内が透けて見える。左右に張った翼状の手?(足?)を、必死に羽ばたかせながら泳いでいる。それが何ともいえず可愛らしい!

クリオネ パンフレットより】 

 ところで、一般的には旅の想い出というのは現地でつくられる。だが、偶には戻ってから現地の出来事が強烈な色に染められることもある。

 東京に帰ってから、スクーバダイビングをしている知人のKさん(『そばもん』の編集者)に流氷とクリオネの話したときがそうだった。彼は「流氷の下に潜っていって、クリオネを見るのが夢」と言った。 

 「スゴイ!」見知らぬ世界を提示された私は、憧憬と驚愕の入り混じったような激しい感覚に打たれた。その夜私は、その感覚を絵にしてみた。

 クリオネ(実際は大人だが・・・)は大人になったら人魚になるのかもしれないと想いながら・・・。

 【クリオネのママ ☆挿絵ほし 

 これで私のオホーツクは流氷とクリオネのクニになった。換言すれば、私はオホーツクの心臓を流氷とクリオネと、とらまえた。

 そして、このオホーツクの丘にダッタン蕎麦の花が咲き、実がみのるだろうことを願いながら、このエッセイをしたためた。

参考:服部英雄編『アジアの中の日本』(吉川弘文舘)、司馬遼太郎『オホーツク街道』(朝日新聞社)、吉村昭『間宮林蔵』(講談社文庫)、

お国そば物語シリーズ(第167、128、124、121、120、119、118、89、66、48、44、42、24、9、7話)、

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる