第492話 =北京=ソウル=東京=

     

北京紀行-本編 完

 中国やアメリカなどに行ったりすると、具体例は割愛するが、彼の国の大きさや、アジアと欧米の相違を痛感したりすることがあるのは私だけではないと思う。
そんな感じを何とか整理してみたいという気持から、小説「韃靼漂流記」や小説「世紀の舵取」などを『日本そば新聞』に書いてみた。
すると、ますますアジアとくに東アジアと欧米を比較したりしてみるが、たとえばヨーロッバにはEUという連合体があり、北アメリカのUSAとカナダは兄弟のように歩調を同じくしていることに気付く。対して、東アジアは隣国との関係がいまひとつ滑らかではない。だから、「東アジアが国家を超える共同体となることは簡単ではない」といわれていることに宜なるかなと思うこともある。

小生思うに、それは東アジアの民の力が弱いからではないだろうか、ということである。
中国の古代思想家の葛兆光は「東アジアでは政治・文化が国家主導型だ」と述べている。それだけに民の力が国家の力より弱いわけだ。ただ、葛は「その国家の力は周辺国を支配するまではなかった。だから民族・文化の境目がわりあい安定していて、人口の大移動がない」とも云っている。
といえば、そんなことはないと思う人もいるだろう。
確かに、下記のごとき「漢文化」は周辺国に強く浸透し、一つの東アジア文化圏を成すにいたっている。
1.「天円地方」
これは、天は円形、地上は方形からなっているという古代宇宙論である。小生は、日本の前方後円墳は、この宇宙思想に影響された世界であると考えるが、そうだとすれば、あの世紀に中国の強い影響があったことを想うと身震いがするくらいだ。
2.「陰陽五行説」と「儒仏道の三教合一」
紀元前の春秋戦国時代からの「陰陽五行説」と、6世紀の北周時代からの「儒仏道」は、朝鮮半島、日本列島に東斬し、わが国では近々の昭和の時代まで約2000年間も、一般庶民の生活に沁み込んでいたことは、身辺を見回せばお分かりだろう。
4. 漢字文化
日本が漢字文化圏にあることはいうまでもないが、漢字文化の意味は先の第458話「天壇に想う」で述べた通りに奥深いものであり、かつ2000年経った現代でも漢字が国字の主役であることを思えば、漢字が日本文化の要であることは免れようのないことである。

かくのごとく、漢文化が日本文化の祖であることをわれわれは覚悟すべきてある。ただ一方では、上記の中心となるものは、実は国家を強くするための民衆支配の論理だった面もある。
映画などで観賞する王朝物語というのは、ロマンに満ちた歴史劇に思えるが、王朝の強さと民衆の弱さとは表裏の関係にある。
その強い中国王朝に倣って東アジアの各国は独立した王朝を建てた。国王は父であり、国民は子である。父を信頼して従っておれば幸せだと政権側から教えられてきた。だから、東アジアの国々は父を中心にして比較的しっかりしていて、その国境も一部を除けばわりあい安定している。が、逆説的には国と国の交流はぎこちなくなるというわけだ。
であれば、東アジアにおける交流は、国家間ではなく、都市間にこそ意味がある。つまり、東京・北京、あるいはソウルなどの都市間交流である。
この度の北京交流でも、われわれは(ラーメンだけが日本食では情けないと思いつつ、)「江戸蕎麦が日本の蕎麦です。本場の、東京の蕎麦屋で日本の蕎麦を食べましょう。東京で、日本食の文化を体験してください。」と伝えてきた。
そのことで、「両国交流の一助ともなればと思う」なんて生意気なことをいうつもりはさらさらない。だが、小つぶのチームでも外国の都市に行って、交流を絶やさないことは必要だと思う。

話は逸れるが、近頃の東京では、外国語を話している人とすれ違うことが多くなった。それもそのはず、来日観光客数はうなぎのぼり、とくに韓国・中国・台湾・香港・アメリカ・タイなどからが多いようだ。おかげで産業としても観光は第5位になったときく。
訪日の理由は、1)東アジアの人にとって日本は近い。2)物価があんがい安い。3)食事が美味しい。4)清潔だ、といったことが考えられるらしい。
そこには、なぜ日本に行きたいのか、なぜ東京に行きたいのかは、あまり出てこない。
かつては、欧米の、ローマ・パリ・ロンドン・ニューヨークへ行くとき、「憧れの花の都の文化を満喫するため」ということだったが、それとは違うようだ。
そのことを、東アジアの都市は検討しなければならないと思う。
何のために、東京へ、北京へ、あるいはソウルへ行くのか、来るのか?
いやその前に、どんな東京にするのか!
アイデンティティのある都市づくりが望まれるだろう・・・。

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる