第563話 講演会は生きている
長岡市での講演会から
新発田の蕎麦屋「一寿」さんから依頼され、「名店に学ぶ 家庭で味わう江戸の蕎麦前」の話をするために、長岡市にやって来た。
その朝、切符の購入もあるからと思って、早目の7時半に東京駅に着いたところ、構内は旅行者で大混雑。驚いて自動販売機で指定席を求めようとするが午前中は全て満席の表示。「エッ!!」と狼狽しつつ自由席を見たところ空いていたのでちょっと安心。ただ自由席なので寒風のホームで肩を窄ませながら待っていなければならなかった。
そこへ偶然通りかかったのがある知人、彼もまた「あまく見ていた」と同じような台詞を呟いて、席が空いてそうな別の列に並んだのであるが、とにかく人はこんなにも移動しているのかと感心してしまった。
さて、この日、私に与えられた「名店に学ぶ 家庭で味わう〇〇」というのは、よくテレビなどでも「プロに学ぶ 家庭でできる〇〇」というようなことで放映されているテーマである。
視聴しているときは「なるほど」と納得するが、毎日洪水のようなノウハウ情報である。大きな問題意識をもっていなかぎり、実践している人はあまりいないと思う。そこをどうクリアするか? それが今日の講演の真のテーマだろう。
会場に着いてから壇上に立ち、お客さんの顔や雰囲気を想像してみた。いつもやることである。
落語家の三遊亭円窓師匠や三遊亭金也さんが「演題はお客さんの顔を見てから決める」と言われれることがある。主催者側は困るだろうが、顔が想像できないといまひとつというのはよく分かる。
たまたま先月、豊島屋酒造の会があったとき「蕎麦前というのは豊島屋酒造が始めたのではないかと思う」と社長さんがおっしゃった。なるほど。豊島屋は1596年、初代豊島屋十右衛門が江戸神田鎌倉河岸に酒屋兼一杯飲み屋の商いを始めたらしい。
江戸蕎麦が完成するのは江戸中期頃、それに合わせるかのようにして「蕎麦前」という言葉も江戸中期頃(1757年『評判龍美野子』)から使われ始めている。
だから、初めは豊島屋で一杯ひっかけてからすぐ隣の蕎麦屋に行って蕎麦を食っていたというところであろうか。それがだんだんと蕎麦屋酒に変化し定着したであろうことは十分想像できる。
今日はそんな話から口火を切ってもいいかなと思つていたところ、始まったら一番前の席の男性客の顔が目に付いたので、そうした。
続いて、蕎麦屋の蕎麦前は蕎麦屋の厨房にある食材で一品を考案されていていることを説明した。
①薬味を食材にした一品
②つゆ・出汁を使った一品
③蕎麦屋の食材を使った一品
そして映像で数々の一品を紹介した。
でも、こんな情報提供は誰にでもできる。老舗を数軒歩いて店の一品をスマホで撮れば可能である。
それ以外にお客さんが望んでいるものをお土産として渡すのが、講演だ。
話しながらそんなことを考えていると、話にいちいち肯いている女性客が目に入った。そこで、「蕎麦屋の精神を見習って、冷蔵庫にある食材を使えばいいのでは」と締めて、話は終えた。
終了後舞台の袖で担当者と話していると、肯いておられた女性客が挨拶に来られた。「ありがとうございました。主人が旨い酒の肴を作れと言うのですよ。これから堂々と冷蔵庫にある物で考えます」とおっしゃってくれた。
一人でもいい、お土産を渡すことができてホッとした。
来週は新潟市で同じ話をする予定であるが、同じお土産が効くかどうかは分からない。またその場の直観で考えよう。講演会は生き物だから。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕