第662話 江戸の蕎麦屋
~ 『世界蕎麦文学全集』物語4 ~
今回は蕎麦関係の浮世絵を紹介したい。浮世絵が『世界蕎麦文学全集』に入るのかと疑問をおもちの方もいるだろうけれど、まあ聞いていただきたい。
日本の絵画というのは、古代の原始的なものは別して、だいたい仏教関係の絵画から始まった。飛鳥時代の法隆寺金堂壁画、當麻曼荼羅あたりがそうである。それが奈良時代になると絵巻物へと進展していった。わが国最古の絵巻物としては『絵因果経』(京都上品蓮台寺本・京都醍醐寺報恩寺本)などがある。続いて平安時代には『源氏物語絵巻』『信貴山縁起』『伴大納言絵巻』などが描かれ、室町時代まで絵巻物が全盛であった。
蕎麦関係では、お馴染みの『深大寺縁起』があり、またわが国で初めて麺を食べている絵として『慕帰絵詞』という絵巻物が知られている。
絵巻物、それは絵と文でできた物語である。簡単に言えば絵本、紙芝居、劇画、アニメみたいなもの。これを構えて言えば時間軸があるから、今風の一枚の絵とはちょっと違うということになる。実はそこが重要であって、一枚の絵つまり西洋絵画というのは、二次元平面でありながらいかに三次元立体を描けるかというところにある。一方の日本の絵そのものは二次元であるから何枚かを続けることによって動画にちかい効果をもつことができる。
それで、浮世絵だが、これには文字はないが、絵巻物風に時間軸で描かれているものもある。たとえば、歌川広重の『江戸名所百景』『東海道五十三次』『木曾街道六拾九次』などがそれである。これらは観る者に道中旅を想像させることができる。だから娯楽文学性があるというわけである。
さっそくだが、広重は『江戸名所百景』に「日本橋通一丁目略図」と「虎の門外あふひ坂」、『東海道五十三次』に「保土ヶ谷」、『木曾街道六拾九次』に「関か原」と「番場」という絵を描いている。
そして「日本橋通一丁目略図」には高級蕎麦屋の「東橋庵」が描いてある。今の中央区COREDO日本橋辺りにあった蕎麦屋だ。これまで江戸蕎麦の発祥は日本橋であることは度々述べてきたが、さらには江戸前鮓店の始まりは日本橋舟町横町(現日本橋の北側)、江戸前天麩羅は日本橋箱崎、天麩羅蕎麦も日本橋「西川」辺りで始まった。
また日新舎友蕎子の『蕎麦全書』には、日本橋の蕎麦屋の器が豪華だったことを紹介している。たとえば「玉屋」は朱塗の器に盛った《玉垣蕎麦》を、「大和屋」は錫の碗に秋田杉の蓋に摘まみは吹玉(ガラス玉)、そして杉箸は歌を書いた紙で包んでいたという豪華な《朝日蕎麦》を、「福山」は錦柄の陶磁器《錦蕎麦》を、「堺屋」は黒塗りの蓋に芝居役者の蕎麦の発句を金粉で書くという《歌仙蕎麦》を売り出したことなどである。
こういう観点に立てば、広重の日本橋の絵には食は日本橋という地が欠かせないとの思いが伝わってくる。
次に、「虎の門外あふひ坂」だが、それには屋台蕎麦が主役である。今の港区虎ノ門葵坂に屋台が二軒来ている。夜空に三日月が浮かんでいるし、歩く者は皆、提灯を持っている。
寺門静軒原(1796~1868)の『江戸繁昌記』によると、一般的な蕎麦屋というのは昼夜《二八蕎麦》や《手打ち蕎麦(十割蕎麦)》を商っていた。ところが、それらの蕎麦屋が店を閉めた夜10時ごろになると、風鈴をつけて荷を担って、下等の蕎麦を商う屋台蕎麦が出てきたという。これが夜鷹蕎麦。主に本所吉田町の下の下の女郎だけを相手に商っていたらしい。
「虎の門外あふひ坂」の屋台蕎麦もその類である。とても蕎麦とはいえないものを商っていたので、こっそり風鈴で知らせていたともいわれている。
それから、「保土ヶ谷」と「関か原」と「番場」には街道沿いの茶店蕎麦が描いてある。今の横浜市保土ヶ谷区と、岐阜県関ヶ原町と、滋賀県米原市である。当時は蕎麦の産地だったのかもしれない。
要するに、広重は660話で述べたような渋い蕎麦や粋な蕎麦などを広いい視野で見ていたということを申上げたい。それは広重の浮世絵の手法に物語性があったからであろう。
ところがである。過日、ある「浮世絵展」を見る機会があった。
江戸の四大食が描かれている浮世絵展である。提示されている絵は相当あった。
しかし蕎麦の部を見てみると、これまで述べてきた蕎麦にとって一番目玉であるべきな日本橋の蕎麦屋がない。そればかりか、あろうことか駄蕎麦の代表である屋台のセットをこの日の展覧会の目玉として設置してある。蕎麦のことが多少分かる小生から見れば、企画のズレが気になる。他の寿司・天麩羅・鰻については詳しくないため、内容をつい信じてしまいそうなので、念のために鰻に詳しい方に伺ってみると、やはり私と同じ感想をおもちだった。
なぜこのような企画になるだろうか。それは日本の絵を物語風に観ようとしないで西洋の絵と同様に1枚の絵として観たからであろう。
西洋の1枚の絵、たとえばゴッホの『ひまわり』を見た者はその1枚に感動し、勇気や希望がわいてくる。しかし日本の絵は文字と共にある。したがって浮世絵といえどその性質をもっている。だから日本の絵は1枚だけを切り取ったような使い方は十分ではない。
物事の本質を捕まえることはなかなか容易ではないが、少しではもそれに則って楽しみたいものである。そうすれば、浮世絵で江戸の蕎麦屋の全体が見えてくる。
【世界蕎麦文学全集】
9.歌川広重『江戸名所百景』-「日本橋通一丁目略図」「虎の門外あふひ坂」
10.歌川広重『東海道五十三次』-「保土ヶ谷」
11.歌川広重『木曾街道六拾九次』-「関か原」「番場」
12.日新舎友蕎子『蕎麦全書』
13.寺門静軒原『江戸繁昌記』
文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる
写真:「日本橋通一丁目略図」「虎の門外あふひ坂」「保土ヶ谷」の
浮世絵と現在地