第686話 おゝ、スザンナ

      2021/01/12  

『世界蕎麦文学全集』物語 28

 フォスター(1826~1864)の名前は有名だ。小学校時代の音楽の教科書に載っていたから、知らない人はいないだろう。とくに有名な曲は「草競馬」と「おゝ、スザンナ」だった。しかし大人になるとフォスターの名前もほとんど聞かないし、それらの曲は学校以外ではほとんど聞くこともない。不思議な作曲家だ。
 なかでも「Oh Susanna」は1848 年ごろゴールドラッシュに沸くカルフォルニア辺りの舞台で「ミンストレル・ソング」として歌われ、大ヒットしたという。
 その歌詞では、スザンナが蕎麦粉のパンケーキを口に銜えて丘の上から下りて来る。  

   A buckwheat cake was in her mouth,de tear was in her eye♪
  (彼女は蕎麦粉のパンケーキbuckwheat cakeを銜えて、目には涙が溜まっていた♪)

  具体的な情景はよく理解できないところがあるが、今でいう立喰い状態なのであろうか。
  それで、この立喰いとゴールド・ラッシュの関係に注目したい。

  その前に、アメリカという国は、自由を求めて未知の大陸へ渡って来た人たちが、独立戦争(1775~83)、西部開拓(特に1860~9O)、南北戦争(1861~65)、、そしてゴールド・ラッシュ(とくにカルフォルニアは1848年ごろ)を経て、国づくりを成したことを忘れてはならない。だからそれらの時代を扱った昔の映画は自由と自立精神にあふれていて、大変面白かった。
 そのことをエマソン(1803~82)は自由は思想的に必然と考え、ホイットマン(1819~92)は自由と平等を格調高く詠った。
 そして、その自由精神に拍車がかかったのは西海岸のゴールド・ラッシュからだろう。ゴールド・ラッシュは経済力を生み出したばかりではなく、東海岸の質実剛健さのみならず、挑戦的な冒険精神をもって西海岸へやって来た者たちは自由な空気を醸し出した。
 そんな中、スザンナは《蕎麦粉のパンケーキ》を口に銜えているという無作法な立喰い姿で現れる。南北戦争のころはアメリカ女子の地位は低かったのであるが、西海岸のゴールド・ラッシュの風は女子でさえも自由さ、解放感をもっていたのだろう。
 だから西海岸には、自由な発想をもった考えや企業が誕生している。
  たとえば、ジーンズのリーヴァイ・ストラウス、20世紀になると映画の都ハリウッドや、砂漠の土間真ん中に賭博の街ラスベガスが出現し、そしてヒッピー文化から、同性愛の街、あるいはシリコンバレーやIT王国が誕生した。素晴らしいことだ。
  しかしながら、自由さと無遠慮や無作法は紙一重である。このスタイルは、やがてファスト・フードとなって日本にも襲来するが、立喰いという行儀悪さは、自由さと解放感をともなっている。あっという間に世界中に拡散した。
 イギリスのフードライターであるマイケル・ブースは「アメリカの食文化はアメリカ国内にとどまってほしかった」と言っている。
 彼らの自由の獲得は、インディアンや黒人の自由の略奪によって成しえたものであった。しかし、今や自分たちだけの自由はもう許されなくなったのである。        

『世界蕎麦文学全集』
53.フォスター作詞作曲『おゝ、スザンナ』

文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
ほし☆ひかる 絵「西海岸サンフランシスコの
ゴールデンゲート橋」