第923話 女と男の、源氏物語
吉高由里子さんの紫式部と、柄本佑さんの藤原道長が面白い。
NHKの大河ドラマ『光る君』のことである。
このドラマは、「世界的に知られている大恋愛物語『源氏物語』はどういう背景から生まれたのか」という世紀の謎に、原作者の大石静氏が挑んで書いた物語である。
その前提として、道長と紫式部は幼馴染で、青年期に恋愛関係になったと設定されてある。
恋仲のころ道長は都を捨てて二人で何処かで暮らそうと誘う。しかし式部は「貴族の貴方に田舎暮らしはできない」と言う。さらに道長は「俺の妻になってくれ」と頼むが、式部は「嫡妻なら受けるが、妾は嫌だ」と断る。道長は「身分が違いすぎて、それは無理だ」と腹を立てる。妾とは単なる男女関係、男に生まれていたなら政治に関わりたいと思っていた式部は、それでは物足りなかったのである。とうとう二人は別々の相手を見つけることになるが、式部が選んだのは父親と同じ歳の男、しかも道長に拒んだ妾の地位。おそらく式部は、現実は妾の地位に身を置いて経済生活を安定させ、心の中では道長の正室の位置にあるとして別の形で道長とともに歩む決心だったのかもしれない。こうして式部は「道長様が国の民を幸せになるよう」な政治を見守って行くと約束し、二人の関係は続いて行く。
やがて式部は妊娠する。ところが式部と下女は指折り数えて、「えっ、お腹の児は道長さまのお子」と気付き、二人はこれをずっと秘密にすることにした。
ここが女性作家らしいところである。「性の秘密は男どもには分かるまい」という女性作家の高笑いが聞こえてきそうである。男の作家にはこういうことは書けない。
さて、『源氏物語』誕生秘話であるが、道長は長女彰子を一条天皇の妃にしていた。であるが、天皇は先の妃定子が忘れられなくてまったくまだ少女のような彰子のもとへはお渡りがない。そこで文学の力で何とかしてほしい、と紫式部に頭を下げて頼む道長。そこで式部が考えたのは大恋愛物語の執筆である。恋物語を読んで、まだ少女の身の妃でも恋に興味をもってくれたらとの狙いであった。式部の試みは当たった。読んでいるうちに恋というものに芽生えた彰子は、ある日突然、顔一杯涙を流しながら、一条天皇に愛を訴える。一条天皇は驚きながらも彰子を初めて可愛いと思った。そして男児が生まれた。次期天皇の誕生である。彰子は文学の力で自分の道を開いていき、父親の道長の権勢は盤石となった。
物語は進んで、11月の放映である。ここはある意味、一年間ドラマの山場であった。
真剣にかつ慎重に権謀を重ね続け宮廷を支配していた道長もついに病に倒れ、なかなか回復しない。すでに辞表も二度出していた。
心配した忠実な下僕が助けを求めたのは紫式部だった。「殿様に会ってほしい」と頼みにきた。
実は当の紫式部も人生最大の仕事であった『源氏物語』の執筆もほぼ完了し、次なる目標感も見当たらず、内裏から家に戻ってのんびりしていた。娘は、そんな母に生気が感じられない、と少し心配しているところであった。
紫式部は下僕に案内されて、道長が伏している宇治の館に出向いた。
久しぶりに会った道長は死んだも同然の酷い状態であった。
彼女は落ち着いていた。それは幼な馴染み、恋人、夫婦同然の仲、そして宮廷内での〝同志〟として、長年道長と共に歩いてきた自信のせいだろう。長年の関係というのは、その場、その時だけの短い付き合いとは訳が違う。共に一生懸命に生きてはきた仲だから滲み出る愛があった。
式部は優しく語りかけた。
道長は昔を思い出し、二人で川辺を歩きたいと言い出した。
病弱の身体でとぼとぼと歩く道長は、「今は誰のことも信じられない。おれ自身のことも」と呟く。
式部は言う。「もう私が言った約束はお忘れなさい」。
道長「何を言うか。おれはお前の約束を支えにしてがんばってきた」。
式部「私も内裏での役割はもう終わったの。二人でこの川の水に流されましょうか」。
すると道長は懇願するように言う。「お前は生きろ、おれより先に死ぬな」
式部が言う。「嫌ヨ! 道長さまも生きて、私はあなたと一緒に生きたい」
この台詞が、二人の物語の真髄である。
道長は、あらためて紫式部という信頼のある同志を失っていなかったことに感激して嗚咽を抑えきれず、声を出して泣いた。
こうして、道長は生気を取り戻し、内裏へ戻った。
私は、ここでも女性作家の笑いが聞こえてくるようであった。「男を、生かすも殺すも女次第よ」。
それにしても、この作品は現代的である。
人間社会には、いわゆる「男女関係の愛」だけではなく、もう一つの愛があることを大石氏は描いている。それは社会における、仕事における〝同志〟あるいは〝盟友〟関係である。一般的に社員や部下は金銭が介在する。しかし同志や盟友は自分自身の気持で応援・支援し関わっていく。そこに男どうしでは〝友情〟が支になることもある。また男と女の間には恋や〝愛〟が礎にあってもいいわけだ。これが大石静氏の紫式部と藤原道長の物語を形作っている。
二人が川辺を歩いた数日後、『光る君』で和泉式部を演じた泉里香さんが式部の故郷である佐賀嬉野市を訪ねる番組があった。
和泉式部は恋多き歌人であったといわれている。そこを泉さんは、式部のやや崩れかかったさまを巧く演じていた。
同時代にはもう一人才女がいた。清少納言である。彼女は先の妃定子に心酔し、定子のために『枕草子』を書いた。その姿は優れた臣下にしかすぎないと大石氏は見たが、ファースト・サマー・ウイカさんは、これをきつい顔で上手に演じていた。
それにしても大石静氏は女性にも厳しい目を注いでいる。和泉式部、清少納言ともに才女ではあるが、男の存在意味を知ろうとしない器の小さい女として登場させているように見える。だからこの二人は〝盟友〟としての男性をもてなかったのだろう。その差が世界の、世紀の恋愛小説家となった紫式部との相違ではないか。
盟友。これがこれからの女性の重要な課題になっていくような予感のするドラマであると思う。
エッセイスト
ほし☆ひかる