第925話 鴨が葱背負って

      2025/01/20  

 トリ」といえば、今は鶏肉がその代名詞になっているが、江戸時代は「トリ」とは水鳥や山鳥のことを指していた。それもそのはず日本人が鶏を食べるようになったのは、幕末・明治からである。だから江戸時代の絵を見ると、鳥問屋の軒先には鴨がぶら下がっている。
 最初は長崎の出島の外国人が食べていたが、そのうちに出島を交互に管理していた佐賀鍋島藩と福岡黒田藩の好奇心のある武士たちが食するようになった。史料には佐賀藩士が贈答用として鶏肉を利用したことが記録されており、また佐賀は早くから養鶏が始まり、博多の《水炊き》は名物となった。こうして長崎➡佐賀➡博多➡という、いわば「チキン・ロード」ができて、鶏肉は江戸へ向かった。
 というと、たいていの人は「そんなことはないだろう」とおっしゃるが、そんなことはある、のである。
 農耕民族は、飼っている動物(牛馬豚、庭鳥)の肉は食べず、野生の動物(猪鹿山鳥水鳥)を食べた。
 地球にはもうひとつ遊牧民族がいる。彼らは飼っている動物を食べるが、野生の動物は食べない、と申し上げると、たいてい「へ~」とおっしゃって、とりあえず納得していただいている。
  でも、それはそもそも論であって、交流が進むと食も変化する。だから現在ではほとんどの外食店が、鶏肉オンリーとなって、古来の日本らしさは失われてしまっているということになる。

 個人的には、子供のころの好き嫌いは、◎牛肉、△豚肉、×鶏肉の順で、成人して東京で暮らすようになってから、◎牛◎変わらずにやっと〇豚、△鶏となった。もちろん社会人になっても牛ステーキは困んで食べていた。
 そんななか、鳥肉のうち鴨だけは好きだった。
 鴨料理は今は蕎麦屋にしかないので、蕎麦屋へ行くとだいたい《鴨》を注文する。たとえば各蕎麦屋の《鴨なん》、大塚「岩船」の《鴨の鉄板焼き》、銀座「小松庵」の《鴨の肝》、浅草「蕎亭大黒屋」の《鴨鍋》、とくに「鴨が葱背負って」ではないけれど、冬場の鴨と葱は美味しいと思う。

 ところで、令和7年1月、麺団体の新年会がホテルオークラで開催された。
 そのときの隣の席は鴨問屋の東京店長さんだった。
 私は『蕎麦春秋』で「そば文学紀行」を連載していて、ある号では《鴨なん》発祥の由来と、江戸の鴨の流通網についてかなり調べていたので、彼との話は興味深く、食事をいただきながらずっと二人で鴨談義を続けていた。
 彼によると「国産鴨が美味しいのは餌のせいで、そのうちの京鴨が一番美味しい」という。そして「自分が鴨屋だからと言うわけではないが、鶏より鴨が絶対美味しい」と言っていた。
 裏を返せば「みんな、なぜ鶏肉が好きなの?」と疑問がわくということになるだろうが、それには鴨が食べられる店が蕎麦屋だけではなく、多くの店がやればよいと思う。それに鴨料理の数も増やすことも必要である。

 そうでなくても、現代は食も一極集中の傾向にある。たとえば、稲は高度成長期までは1000種類ほど栽培されていたらしいが、現代ではすべてコシヒカリ系に集中しているという。 

 トリ肉料理界も、蕎麦屋の《鴨なん》だけでは寂しく、また鶏一辺倒では魅力あるトリ食の世界とはいえない。来月、《雉蕎麦》を食べる機会があるから、雉も楽しみたい。
                                                                               
《写真》鴨のベイビーと、鴨料理

和食文化継承リーダー
エッセイスト
ほし☆ひかる