第68話 草上の蕎麦

     

 

 

☆夢の島そば

  東京に夢の島という処がある。その中にある熱帯植物館の舘長は6年くらい前から、1,200坪ぐらいの畠に蕎麦を撒き始めた。元々舘長は、茨城の金砂郷で蕎麦栽培をおこなったり、蕎麦打ちをやったりという蕎麦人であったから、夢の島の畠を見たときに蕎麦の花が咲いている景色を想い描かれたのであろう。

 やがて畠に白い花が咲き、そして秋に収獲しようというときだった。夢の島熱帯植物館のボランティア・ガイドをなさっている福島さんという方が、「江戸ソバリエの出番だ」と思われたのか、小池さん(江戸ソバリエ・ルシック)に電話された。二人は「江戸ソバリエ」の仲間同志だったのである。

 小池さんはすぐ舘長と会って話し合い、刈り取って脱穀した蕎麦を打って振舞おうということになった。蕎麦打ちとなると、刈り取り、脱穀とはちがったボランティアを募らなければならない。同じ仲間の松本さん(江戸ソバリエ・ルシック)がそれを引き受け、あっという間に20名ちかくのボランティア・スタッフが集まり、平成18年の12月初めに「夢の島そば」として振舞われるようになった。こうして始まった夢の島そば振舞いは平成22年の今年で5回目を迎えた。

 この間、平成20年には「高嶺ルビー」の種を播いてもらったこともあった。そのときは東京で初めて赤い蕎麦の花が咲いたものだった。

                

【紅い蕎麦 ほしひかる画】 

  さて、今日の「夢の島そば振舞い」にも、200人ちかくの方が楽しみにして見えていた。若い男女、家族連れ、お年寄りと孫たちと・・・皆さんは、テントの中のテーブルや、じかに草の上に坐って、陽の下で蕎麦を美味しそうに食べておられた。

 その様を見て私は、ふっとマネが描いた有名な絵「草上の昼食」のことを想った。

 そう、たまに人は野外で食事をしたくなる。そのときは野趣性に富んだ蕎麦もいいだろう。

 そう思い始めると、日本の食べ物には自然性に富んでいることを痛感する。煮炊きせずに切っただけの生の刺身がその代表であるが、それを盛る器にしても、笹や柿の葉や竹など自然のままのものをよく用いる。

 とくに茶道においては、その性をさらに厳しく追及しているようだ。先日も遺跡が発掘されたとしてニュースになっていたが、江戸前期の小堀遠州と松花堂昭乗は石清水八幡宮寺・瀧本坊の崖に突き出したような茶室「閑雲軒」を造っていた(1630年)という。これなどは日本人が茶や食などにいかに野趣性を取り込もうか、いや食の世界において自然との一帯感を演出しようとしている姿なのである。

 目の前の草の上の若いパパさんと幼い少年の父子連れ見ながら、私は改めて思った。爽やかな空気と眩しい陽を浴びながら野外で口にする蕎麦も粋である、と。

参考:「蕎麦談義 第32話 ― 東京で初めて紅い蕎麦の花が咲いた」、小池晃著『江戸ソバリエ日記 たかが蕎麦 されど蕎麦なり』(新風舎)、

      〔蕎麦エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる〕