<コンビニ創業戦記・附伝>「鈴木貞夫言行録」第7回

      2017/01/19  

第四章・「コンビニ時代」(その1)

――1976年(昭和51年)~2006年(平成18年)--42歳~72歳

《TVBサンチエーン》時代

ーー1976年(昭和51年)~1980年(昭和55年)--42歳~46歳

水商売主体のTVBがコンビニ事業へ進出するのは、全くゼロからのスタートであった。

アメリカ生まれのCVSが、零細商店の過剰な日本市場に定着できるのかどうかは、その時点ではまだ全く不透明であったし、いわんや我々にはノウハウがない。それでいて、最新業態のコンビニに挑戦しようというのだから無謀とも言える。

初めに集めた7人のプロジェクト・メンバーは、小売業の経験者はいなかったが、不思議と怖いもの知らずのエネルギツシュで個性的な人材群であった。

一年もしない内に挫折して行く人もいたが、その後、経営中核人材として、大きく育った人たちもいる。

けれども、初期の準備段階で、事業の将来が五里霧中のときに、皆本当によく付いてきてくれたと思う。

私は、

1・流通革命の尖兵となろう!

2・目標5000店

3・日本一チエーン実現

などと、みんなの前で大目標をぶち上げたが、勿論、何の成算があったわけではない。

ただ、何がしか使命感のようなものを感じて燃えていたことは確かである。

とにかく、ひたすら先発のセブンイレブンを、みんなで見て回り、注意深く観察し、集めた情報を参考にして、見よう見まねで店造りを始めるほかはなかったのである。

ともあれ、実験店三店舗をオープンする。 ≪サンチエーン創業物語≫(第7回第8回参照)

だが、それからが本当の闘いの始まりであり、毎日、毎時、あらゆる難題との遭遇であった。

それを一つ一つ、一歩一歩、少しずつ改善を積み重ねていく日々の連続であった。

実験営業を開始して約3月後、店舗数20店舗ほどの段階で、事業部運営から独立法人化し、(株)TVBサンチエーンを設立、社長に就任する。

   

(サンチェーン1号駒込店とTVCM及び物流センター)

「サンチエーンの創業理念」

(食品産業・’78年6月号「サンチェーンの創業理念」)

(日本食糧新聞’78・4月

私は42歳であった。頑健であったし、使命感に燃えていた。

茗荷谷(旧南洋観光本社跡)に事務所を構えた。

「100店舗達成」

それこそ不眠不休で、毎月、直営店の出店を重ね、実験店オープンからちょうど1年目の昭和52年11月、100店舗体制を実現する。

その当時としては、出店スピードの速さに、業界の耳目を集めたのではないかと思う。

帝国ホテルにおいて、「サンチエーン100店舗達成記念謝恩会」を開催した。

日経新聞が一面に取り上げてくれた。 ≪サンチエーン創業物語≫(第9回第10回参照)

(日経新聞記事)

  

(100店舗達成記念パンフ)

「全国展開へ」

第二年目には、すぐさま全国展開に着手、大阪、名古屋、福岡、仙台、札幌へと、それぞれの地域に地域営業部を設けて、順次に出店を開始していく。

そして、キャバレー・ハワイチエーンの暖簾分け独立方式を基に考案したサンチエーン社員独立制度を始動させていく。

それはまさに、眦を決した、獅子奮迅というべき闘いであった。今考えると、よく遣り抜いたものだとしみじみと感じる。

共に闘い抜いてくれた当時の多くの若き同志たちに、心からの感謝を捧げたいと思う。

このあたりのことは、≪サンチエーン創業物語≫第11回第12回第13回第14回)に詳述しているので、そちらを参照していただきたい。

また、特に力を入れた人材つくりの挑戦については、≪サンチエーン創業物語≫(第15回第16回第17回)を参照にされたい。

ここでは、その時々の社内会議や社内報、業界紙記事などについての記録をいくつか概観しておきたい。

(新入社員研修時の記念写真)

(第1回社員総会)

「社内報・流通レーダー」発刊

社内報「週刊流通レーダー」は、創業初年度半年目の1977年(昭和52年)4月に創刊した。

店舗数が20店舗をようやく超えたころである。

創業1年で100店舗達成を目指す急速な出店に伴い、社員数も急増していく中で、私の考える経営方針をいかにして、素早く浸透させるかは大きな課題であった。

組織の一体感を醸成し、全社員で目標を共有するために、朝礼、諸会議、社員総会、ソフトボール大会、社員運動会などの活動充実にも、漸次力を入れていく。

だが、教育も超速成、幹部も超速育成という厳しい状況の中で、それを補うには社内報を週刊のスピードで発行して全員に読んで貰うことだと考えた。

主な原稿は私が書き、専任担当者を決めて、初めのうちは手造りのガリ版刷りで発行した。

TVBサンチエーン時代は、1号から79号まではガリ版で「週刊流通レーダー」、80号からは活版の「月刊流通レーダー」とした。

ダイエーグループ入りしてからも、「月刊流通レーダー・ひまわり」として継続し、DCVS合併に至る最終195号まで発行していくが、これは後に触れる。

全号が私の手元に揃っているが、いつ見ても当時の必死さと気迫がにじみ出てくるような気がして感慨深い。

   

(「週刊流通レーダー」9号と64号及び100号を振り返る>

   (サンチエーン野球部「ビッグサン」)    

(女子本部スタッフの皆さん)

(日経流通新聞 ’80年7月インタビュー記事)

「ダイエーと業務提携」

創業4年目 の1980年(昭和55年)9月、TVBは、ダイエーと業務提携し、TVBサンチエーンはダイエーグループ入りすることとなった。

日経新聞はじめ、業界紙を賑わした記憶がある。

その経緯は、≪サンチエーン創業物語≫(第18回19回)に既述しているので、参照していただきたい。

<TVBサンチエーン・年譜>

ーー1976年(昭和51年)8月~1980年(昭和55年)9月――42歳~46歳ーー

ーー1976年(昭和51年)ーー練成練磨の年――42歳
<7月>   コンビニ事業進出プロジェクト設立・7人のメンバーで調査・企画立案開始
<10月>   実験店開店準備を始める
<11月>  パイロット店3店舗(駒込・町屋・富士見台店)オープン
ーー1977年(昭和52年)――聖戦の年ーー43歳
<2月>  11店舗となりチエーン規模となる
<3月>  (株)TVBサンチエーン設立・独立会社となる
       18店舗となり、全店「24時間年中無休営業」を始める
<4月>  定期新卒社員第1期生入社
       社内報週刊「流通レーダー」創刊
<5月>  25店舗となり営業本部体制を敷く
<6月>  30店舗で、幹部会議制定
<7月>  37店舗となる
<8月>  50店舗・
       電算機・FAKOMーV導入
       青果市場より直接仕入れ開始
       個分け物流実験開始
<9月>  都内23区内出店で70店舗となる
<10月> 88店舗となる
       米国コンビニチエーン視察参加
       第1回サンチエーン社員総会開催(豊島公会堂)
<11月> 100店舗達成記念謝恩式典開催(帝国ホテル)
       TVCM開始
       自社物流センター開設・小分け実験スタート
       サンチエーン青果(株)営業開始
                      (株)サンデリカ設立――お弁当チエーン実験開始
<12月> 関西サンチエーンスタート
ーー1978年(昭和53年)--意識改革の年ーー44歳
<1月>  第1次コンピューターシステム「サ二ックス」導入
       第2回社員総会
<2月>  OPライン事業部制を敷く・6事業部体制
<3月   新独立FCオーナー制度(ファミリーチエーンシステム)スタート
<4月>  第3回社員総会
       ペガサスクラブ渥美俊一先生より100店舗突破表彰受賞
<5月>  9事業部体制となる
       第1回ソフトボール大会
<6月>  社員能力向上テストスタート
        第4回社員総会
<7月>  13事業部体制
       第2回ソフトボール大会
       東海サンチエーンスタート
<8月>  150店舗となる
       第5回社員総会・第3回ソフトボール大会
       サンチエーン商事設立・グロサリー自社物流開始
       サンチエーン野球部「ビッグサン)スタート
       幹部学習会スタート
       社員寮・駒込寮及び大泉学園寮開設
<9月>  九州サンチエーン
<10月> 東北サンチエーン
       北海道サンチエーンスタート
       社長ロマン対談開始
<10月> 200店舗18事業部体制となる
       第6回社員総会
<11月> サンチエーン流通学園開設
<12月> (株)サンデイリー設立・日配品共同配送実験スタート
       第7回社員総会
       一人一月一提案運動スタート
-ーー1979年(昭和54年)ーー決戦の年――45歳
<1月>  7営業部20事業部となる
<2月>  課題別プロジェクト活動開始
<3月>  第8回社員総会
<4月>  第2次コンピューターシステム「サ二ックス」導入
       第5次社員オーナースタート
<5月>  第1回運動会開催(六義園)
<6月>  第9回社員総会
<8月>  第10回社員総会
<9月>  社内報「ひまわり」と名称変更し月刊となる。
        第11回社員総会
<10月> 社員米国CVS研修ツアー実施
       第2回運動会
<12月> 第12回社員総会
ーー1980年(昭和55年)--実践の年 ――46歳
<5月> 第13回社員総会
<9月> (株)ローソンジャパンと業務提携し、ダイエーグループ入りを決める
       長崎に進出
<10月> 第3回運動会
<11月> 第14回社員総会    以上

以下次号で「鈴木貞夫言行録」第8回を掲載します。

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