<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第13回
2017/01/24
<海外ツアーの思い出>(その4)
<DCVS時代(1989~1996)(3)
――1994年(平成6年)・5月&9月ーー(第11・12回)
「ローソン5000店舗達成記念・『オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ』」
11回目の海外ツアーは、5000店舗達成記念『ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ』への出席であった。
ローソンはこの年5000店舗を達成することを記念して、前期5月度開催の第一陣&第二陣、それぞれ2000人の加盟店オーナー夫妻によるシンポジュームを2回、そして後期9月度開催する第三陣&第四陣、それぞれ2000人のシンポジュームを2回と、前後期合わせて合計4回、全国加盟店オーナー夫妻・総勢8000人が参加する、ローソンの歴史に残る大シンポジューム「ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ」を、遠くホノルルの地において開催したのである。
<ローソン社内報「PAl」の記事より>
ローソンの「5000店舗達成記念事業」は、基本的に四つの柱で構想された。
一つは、創業以来、ご支持、お育て頂いたお客様への記念謝恩セールを大々的に展開すること。
二つは、フランチャイズチェーンとして加盟店と本部の絆を強固にし、ローソン商人魂の原点を学ぶ総本山としての本格的研修施設「ローソン東富士ゲストハウス」を開設すること。
三つは、創業以来、24時間・年中無休営業で、商売に専念してこられた加盟店オーナー夫妻の皆さんに感謝の思いを伝えるために、思い切ってお店から離れて、店舗従業員に任せることで生まれるゆとりを実感してもらうと共に、経営者としての意識と視野を大きく広げる機会となるように、全国の加盟店オーナー夫妻を空路ハワイへご招待、ホノルルで『ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ』を、華やかに、盛大に開催すること。
四つは、創業以来ご協力いただいた全取引先に対して、謝恩行事を行うこと、であった。
それぞれの記念事業に付いては、また別の機会に書きたいと思うが、何といっても格別に忘れ難い思い出は、やはり『ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ』である。
これだけの規模の大シンポジュームを開催するには、大変な組織的エネルギーを要した。
ハワイまでの飛行機便の確保、JAL機を特別専用便としてチャーターし、福岡、関西、成田、札幌空港からの発着を可能にしてもらった。
滞在期間中、ホノルルの大型ホテルはほとんど借り切りとなり、その間、ホノルルの町は、ローソン歓迎一色に染められたのである。
シンポジューム会場にしても、1度に2000人規模の会合がスムースに運営できるコンヴェンション・ルームを持つホテルは限られていた。
加えて、当時は海外ツアーが初めてというオーナーさんも多かったから、ハワイでのシンポジュームへの参加意識を、如何に高めるかについても苦労があったのである。
中には、「オーナーが店にいなくて誰が店を守るのか」との不安を、強く主張されるオーナーさんも居た。
お店の留守番体制をどう作るか、ツアーでの安全体制の確保など、検討すべき課題は多々あったのである。
全社的なプロジェクトチームが編成され、シンポジューム担当のリーダーは、確か小木曽信隆(当時・取締役オーナー相談室長)さんだったと思う。
小木曽さんは、個性の強いチームメンバーをまとめ上げ、幾多の難題を乗り越えて、歴史的なこの大シンポジュームを大成功裡に運営し、見事に大役を果たしてくれた。
既に「サンチェーン創業物語」の中でも書いているが、小木曽さんは、TVB出身者で、サンチェーン時代には、私の直属の部下でもあったし、非常に温厚、粘り強い性格で、人望も厚く、信頼できる幹部であったことを今でも忘れない。
小木曽さんはこの大役を果たした僅か2年後、難病を得て50代そこそこの若さで早逝されたことは、残念極まりないことであった。
【ここで、「オーナー・シンポジューム」そのものに付いて、少し触れておきたい。
シンポジュームが始まるきっかけは、サンチェーン・ローソンの合併により3000店でスタートした、「新生『ダイエーコンビ二エンス・システムズ発足記念祝賀会』」であったと思う。
合併の年、1989年(平成元年)秋、草創期以来の加盟店オーナーご夫妻全員を、確か全国を4地区に分けて、それぞれ東京、大阪、博多、札幌の有名ホテルに招いて開催した。
当時は未だ、加盟店オーナーさんたちとホテルで一堂に介して、経営トップ陣が直接経営方針を説明し、意見を交換し合う懇談の機会はほとんどなかったから、この会合は非常に好評を博したのである。それが契機となって、ローソン成長の節目節目にシンポジューム形式での開催が企画されることとなってゆく。
これに次いで2回目のローソン祭典が、「4000店舗達成記念・『オーナー・懇親会』」である。
1992年1月、関東、東北、北海道の加盟店対象に東京のホテル・ニューオオタニで、東海、関西地域はニューオオタニ大阪で、、中四国、九州地域対象にホテル・ニューオオタニ博多と、3箇所に分けて盛大に開催された。
1993年(平成4年)には、完成したばかりの福岡ホークス・タウンの披露をかねて、優秀オーナーさんたちの見学ツアーも行われた。
(オーナーさんたちと) (参加幹部の皆さんと)
3度目が、1994年(平成5年)5月&9月の5000店舗達成記念「オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ」であり、これに付いては、これから後述する。
4度目は、1996年(平成8年)4月、福岡シーホークホテル&リゾートで開催された「『95年度優秀店舗褒賞式・シンポジューム』」である。東日本と西日本に分けて2日間、福岡シーホークホテル&リゾート及び福岡ドームを会場として行われた。。
この時から、「新ローソン大賞」を設けて、QSC部門、高日販部門、前年比改善部門、キャンペーン部門、システム活用部門、社会貢献部門、永年功労部門などでの優秀店舗を一定の基準で選んでご招待し、表彰を受けることとなり、「シンポジューム」形式となる。
表彰式後は、福岡ドーム特別観覧席「スーパーBOX]でのプロ野球観戦となった。
その頃ダイエーホークスは絶好調で、王監督の下、日本一を目指していたが、とても嬉しそうに満面に笑みを浮かべた中内CEOと共に、オーナーさんたちと盛り上がった記憶がまざまざと残っている。
<福岡ドームでのダイエーホークス応援風景>
5度目は、『‘96・ローソン・オーナー・シンポジューム』である。1996年(平成8年)10月、同じくシーホークホテル&リゾートで開催。
全国から選ばれた500店舗1000名の加盟店オーナーさんご夫妻が出席、晴れやかに表彰を受け、懇親会では九州の味と郷土芸能を満喫した。
6回目の『’97・ローソン・オーナー・シンポジューム』は、1997年(平成9年)6月、福岡シ-ホークホテル&リゾートで,前年同様に、開催された。
<ステージ上の中内CEO、藤原社長と筆者><中締めスピーチする筆者>
引き続き、同年翌月には、「ローソン沖縄出店記念『ダイエーグループ感謝の夕べ』」も、沖縄・那覇において開催されたのである。
この年の7月18日、ローソンは沖縄へ20店舗同時開店で進出し注目を浴びたが、これは日本で初めてのナショナルチェーンの実現をも意味していた。
その意味も込めて、その前夜、ローソンが主体となり「ダイエーグループ・沖縄感謝の夕べ」を開催したのである。
中内さんがホストとなり、大田沖縄県知事や親泊那覇市長を始め地元有力産業人等をも多数招いて、沖縄ハーバービューホテル彩海の間を会場に、忘れ得ぬにぎやかなパーテイとなった。
7回目は、2000年(平成12年)11月開催の「ローソン上場記念『ローソン・オーナー・コンヴェンション』」である。
この年、ローソンは東証一部上場を実現した。
その感謝の思いを込めて、福岡シーホークホテル&リゾート及び福岡ドームを5日間借り切りにして、全国の加盟店オーナーさんご夫妻約1万3000人を5つの地域に分けてご招待、計5回、5日間、福岡ドームのグランドを会場に、コンヴェンションスタイルの大パーテイを挙行したのである。
アトラクションは、人気タレントのプリンセス天巧とコロッケや鳳蘭などが、5連続日で出演し、会場を沸かせ、オーナーさんたちを熱狂させた。
さすがに広い福岡ドームのグランドでも、これだけの大パーテイが5連続日で開かれたのは、恐らく初めてのことであったろう。
この年は、ローソンの経営権が、ダイエーから三菱商事に委譲された、格別意味の深い年でもあった。
既に三菱商事から和田さん、青木さん、長谷川さん、田辺さん、児島さんなど数人の役員が、重要ポストに着任していた。
<中内さんを囲んで筆者、青木さん、和田さん、松岡さん>
8回目は、2001年(平成13年)5月の『ローソン・オーナーシンポジューム・2001』である。
帝国ホテル大阪で、全国から優秀店舗オーナーさんたちご夫妻約1500人が招かれ、晴れやかに表彰を受け、祝賀のパーテイが開かれた。翌日には、当時大阪にオープンした話題のテーマパーク・「ユニヴァーサルスタジオ」を、終日、全員が楽しんだのである。
中内最高顧問にとっては、このシンポジュームが最後の登場となった。
9回目が、2002年(平成14年)5月の『2002・ローソン・オーナー・シンポジューム』である。会場は、東京ベイホテル東急であった。
この年初め、新浪剛志(現ローソン社長)さんが、社長含みでローソン顧問に就任していたが、この席で全国のオーナーさんたちに初めて紹介され、壇上から挨拶した。
<新浪さんを初めステージ上で鏡割りをする皆さん>
私は毎回のシンポジュームには必ず出席し、乾杯スピーチや中締め挨拶などを通じて、会場の盛り上げ役を果たすことに努め、全国のオーナーさんたちとの交流と懇親、激励の思い出を深めることが出来たことは、何にも代えがたい喜びであった。
「使命共同体」であり「システム共同体」であるフランチャイズビジネスにとって、このような「お祭り・祭典」の催しは、必要不可欠のものである。
組織の「お祭りは、続けることが大事である。続けることで、伝統となり、誇りとなり、文化となるのである。
それは企業の見えざる力となり、見えざる大きな無形資産となっていくのだと思う。】
ここで本題に戻ろう。
やはり、特別に思い出深いのは、何といっても、「5000店舗達成記念『ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ』」であろう。
私は5月度の第一陣&第二陣のシンポジュームには、代表取締役副社長として、9月度の第三陣&第四陣には、取締役相談役として参加した。
と云うのも、5月期の第一陣&第二陣のシンポジュームを終えて間もなく、ダイエーグループ全体を震撼させるニュースが突発する。
中内CEOの最も信頼していた鈴木達郎ダイエー専務が、若くして急逝したからである。
このことは既に、本稿の「サンチェーン創業物語」の中でも書いているので、これ以上は触れないが、その波紋はローソンにも、大きく及ぶこととなった。
急遽、ダイエーの経営中軸人事は言うに及ばず、ローソンの経営陣も大きく再編成される。
ローソンでは中内さんが会長から最高顧問、松岡さんが社長から会長に退き、新たにダイエー専務を兼務して鈴木達郎さんが果たしていた重任を担うこととなる。
そして新ローソン社長には、ダイエー取締役商品本部長だった藤原謙次さんが就任した。
私は代表取締役副社長を退き、取締役相談役となった。
9月度の第三陣&第四陣の「ローソン・オーナー・経営セミナー・イン・ハワイ」は、運営内容は前期と全く同じであったが、この新体制で遂行されたのである。次号では、そのことに付いて詳説しよう。
(バツクナンバーは「鈴木貞夫プロフィール及び目次と索引」を検索)