第110話 北京で食べた雑麺は室町時代の味がした?

     

  中国麺紀行②  

 

☆天安門

 北京に着いてから、地下鉄で天安門広場に行ってみた。

地下鉄入口

  大勢の人たちが群れをなしている。毎夕、国旗が下されるのを見学するために集まって来るのだという。  

広場の国旗と天安門

 正面の天安門には毛沢東の大きな肖像画が飾られていた。中華人民共和国の創立者といっていいだろう。しかし、その権威も文化大革命後には失墜しようとしたが、鄧小平の「功績第一、誤り第二」という考え方で毛の権威は保たれた。この順番的な判断基準というのは優れて有効だと思う。功績と誤りを横並びにして見てしまうと、進むべき本道を見失い、迷走しがちだからだ。

 

☆王府井 

 私たちは、そのまま歩いて行った。途中有名な「北京飯店」を通り過ぎると、王府井という繁華街に出た。

 【北京飯店

  たくさんの若い人が歩いていた。デパート、ショッピングセンター、食べ物屋がある。 

【百貨店】

 露地にはギッシリ店が並んでいて、蠍や蛹など怪しい食い物まで売っている。

露店

 私たちは「東来順」という店で《しゃぶしゃぶ》を楽しむことにした。お店を選んだのは仲間のお一人寺西恭子さん(江戸ソバリエ講師)だ。彼女は20代の後半のころ北京にお住まいだったというから心強い。

東来順の看板と店内

 肉は羊と牛、それに野菜を火鍋でしゃぶしゃぶして食べるわけだが、「《しゃぶしゃぶ》は日本料理であるから、別に珍しくはないだろう」と思ってはいけない。

 実は、《しゃぶしゃぶ》のルーツはモンゴルだといわれている。元王朝の宮廷医であった忽思慧(Husihui)の考案によるとされる北京の火鍋料理《涮羊肉(シュワンヤンロウ:shuàn yáng ròu)》を吉田璋也(1898-1972)という医師が戦後、日本に伝えたものらしい。吉田は民芸運動もやっていたので、師であり仲間でもある柳宗悦や河井寛次郎らの助言を得ながら羊肉を牛肉に替えたりして、京都丸田町の「十二段家」で披露した。そうするうちに肉を薄く切って、涮=すすいだり(しゃぶしゃぶ)して、今日ののような形となったのだろう。吉田の出身地鳥取市の「たくみ割烹」(開店昭和37年)ではしゃぶしゃぶの原型《牛肉のすすぎ鍋》が供されていると聞く。そういえば、『韃靼漂流記』にも、「魚鳥羊牛豚その他獣を、水にて煮申候。」と記録してあるから、モンゴル人や満州人は《しゃぶしゃぶ》の原型のようなものを食していたのではないかと思う。 

しゃぶしゃぶ、火鍋・肉・野菜

 ところで、この席で私が目を奪われたのは《雑麺》であった。この麺を最後にしゃぶしゃぶして頂くわけだが、この《雑麺》に出会ったことで私は、北京にやって来た甲斐があったと思ったぐらい感激した。 

雑麺

 というのも、日本における蕎麦麺の最初は雑麺だろうと、寺方蕎麦研究家・江戸ソバリエ講師の伊藤汎先生はおっしゃっているからだ。

 先生の研究によると、室町時代の史料に「雑麺」という言葉が出てくるという。一つは、1415年に江戸小石川に寿経寺(後の傳通院)を建てた浄土宗の僧侶了誉聖冏(1340-1420)が著した『禅林小歌』(1360年代)。二つは、京都相国寺の『蔭凉軒日録』(1490年)である。 

 そして、その「雑麺とは雑穀で作られた麺のこと。この時代の雑穀とはおそらく蕎麦、粟、黍などだろう」とされ、うち「蕎麦の麺が生き残ったのが、今の蕎麦」と主張されている。

 この情報と、これまでも第105話などで度々述べている麺の初見年代と重ね合わせてみると、足利時代が日本における麺の誕生期であることが、明確に見えてくる。

 1340年(足利尊氏の時代)、ソーメン初見 

 1347年(足利尊氏の時代)、うどん初見  

 1360年代(足利義詮、義満の時代)、雑麺

 1405年(足利義持の時代)、冷麦初見  

 1438年(足利義教の時代)、蕎麦初見

 1490(足利義材の時代)、雑麺

 1574年(織田信長の時代)、蕎麦切初見  

 加えて、『禅林小歌』には「柳葉麺、桐皮麺、絰帯麺、打麺、薤葉麺・・・・・・」なる麺が記載されている。

 今では、それらが一体どういう麺なのかよく分からないが、それ故に宋の国から渡来したままの名前の麺ではないかと想像する。

 

 さて、目前の《雑麺》の味はというと、普通の麺の風味である。では、これはいったい何で作った麺なのだろうか? いろいろ調べてみると、勝見洋一著の『中国料理の迷宮』には「緑豆や栗の粉で作った麺」と書いてあり、またこの旅に同行していただいた李先生は「緑豆粉と黄豆粉を8対2の比率で作ったものではないか」とおっしゃる。要するに、小麦粉ではないものを《雑麺》というのかもしれない。

 ツルツルツル・・・・・・。室町時代の僧侶たちが口にしていた麺も、もしかしたらこんな感じだったのかと思うと、身は満腹、心は万福になるのであった。

参考:『韃靼漂流記』(東洋文庫)、伊藤汎著「麺類ではじまるわが国の粉食史」(『FOOD CULTURE』)、小石川傳通院、「於大の方と傳通院」、京都相国寺、『蔭凉軒日録』、勝見洋一『中国料理の迷宮』(講談社新書)、

 

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト☆ほしひかる