第121話 千葉在来そば祭
お国そば物語⑨千葉在来
鎌取駅を下りて、江戸ソバリエ会長の脇坂さんの車で「千葉在来そば祭」の会場へ向かった。
「そば祭」は千葉在来普及協議会(会長:大浦明)が昨年から開催している。
「千葉在来」は、千葉市内の土屋徳多郎家の蕎麦を千葉県農業大学校の長谷川理成先生(当時:千葉県農林総合研究センター・育種研究所長)が見つけられたところから始まる。
そもそもが千葉県の下総台地という所は、明治2年ごろから順に開墾されていった地区である。開墾者達は、関東ローム層を開墾し、短期間で収穫でき、痩せた土地でも育つ蕎麦を作付したり、さらには麦、芋類の輪作、雑木林の落葉を利用した畑作を行ってきた。
土屋徳多郎さんのご先祖も、埼玉県越谷市から千葉市若葉区野呂地区に蕎麦の種子を持って入植し、そうした開拓に励んだ一人だった。その子孫である徳多郎さんもまた60年以上栽培を続けられてきた。
したがって、最初は「野呂在来」とよんでいたが、本年から全国ブランドを目指して「千葉在来」と名称を変更した。
こうした「千葉在来」のルーツを「協議会」は次のように推定している。
土屋家のご先祖がおられた越谷市は日光街道二十一次の中の宿場町である。そんなところから、元の品種を辿れば、北関東の「葛生在来」、「鹿沼在来」、「益子在来」といった中間秋型の蕎麦在来品種なのかもしれない。それが越谷、そして千葉へと伝わったのだろう、と。
「千葉在来」の粒は大半が4.5ミリていど。もちろん生産者が少ないため少量生産である。
早刈りしたわけではないのにわりあい緑色、そして香り、コシ、喉ごし、しなやかさがある、と年々評判が高くなってきている。
会場では《ざる蕎麦》500食が用意してあり、蕎麦打ち教室、蕎麦粉販売、特産品販売も企画されていた。
お客さんの中には江戸ソバリエさんの顔もあった。皆さんが「蕎麦はむろんのこと、蕎麦いなりもおいしい」とおっしゃっていた。
世話役のお一人小林照男さんの「ねばりがあって、打ちやすい」とおっしゃるその顔には「千葉在来に、惚れこんでいる」といった表情がありありだが、それがいい。もちろん千葉県在住の脇坂さんからも、会長の大浦さんはじめ協議会の皆さんからも同じ熱情が伝わってくる。〝地域おこし〟とはかくあるべきだと思う。
参考:お国そば物語(第120、119、118、89、66、44、42、24話)、
♪ 江戸ソバリエは首都圏の蕎麦「千葉在来」を応援しています。
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕