第190話 江戸蕎麦料理 ― 春の章
《 蕎麦膳 》十一
「農産物に四季感がなくなった」といわれてから、久しい。それは農業の大量生産と流通システムの進展と、人々の暮らしのコンビニ化、ファストフード化がドッキングし、時間の短縮ひいては四季感が潰されてきたためである。
そんな中、私たちが江戸野菜に関心を寄せるのは、それが失われた季節性をもっているからである。ただそれは小規模生産であるがゆえに、流通体制の不完全さと表裏の関係にあり、そのため消費者は求めづらい状況にあることも確かである。
そうした論議は、ここでは一旦おくとして、今回も江戸ソバリエ・レディース・セミナーのために、江戸野菜研究家の大竹道茂先生のご案内で東京郊外の生産者の元へ直接東京独活、亀戸大根、野良坊菜を買い求めることになった。
【江戸野菜三種 ☆ ほしひかる 絵】
(弁明:駅弁の木箱の蓋に書きましたので字が滲みました)
そしてその食材を料理研究家の林幸子先生に江戸野菜を食材とした江戸蕎麦料理を創作していただいた。
☆東京独活
独活は日本原産だ。春、古代人は山野に自生していた独活を自由に採収していたのだろう。もちろん今はそんなことをする人はいない。すべて栽培だが、いつから始まったかまでは分からない。
江戸の独活は徳川11代将軍家斉のころに杉並の井荻地区(西荻北)の百姓古谷岩衛門が尾張(愛知県)で栽培法を習って武蔵野地区に広めたのが始まりだという。その後、天保年間には吉祥寺村辺りで栽培され、現在は立川が主要生産地となっている。出盛り期は晩冬~春、ちょうど今だ。私たちは大竹先生に案内されて立川市の須崎さん宅を訪ねた。
畑に行くと、五右衛門風呂ぐらいの大きな穴が掘られてある。もちろん厚手の布で蓋をしてあるが、それを開ければ深さ4m、縦横10mの古墳時代の墳墓のような横穴式の地下室が掘られているらしい。今日は穴の中までは下りて行かなかったが、太陽を遮断したその穴蔵で独活が育てられているという。辺りを見回すと採取した独活の根の残骸が山と積まれているが、そこから朝鮮人参のような強い匂いが漂ってくる。この匂いが独活の特徴だ。
林先生が創作した《東京独活蕎麦》は二点。一つは独活を細く切り、蕎麦と一緒に茹でて「打掛蕎麦風」にする。もう一つは、つゆ(昆布+煮干+本枯節+塩)に、微塵切にした独活を入れて「掛蕎麦風」にする。
昔から独活は邪気を去り、風熱を冷やすとされているから、このような冷性蕎麦はよく合っている。それに独活は香りが特徴の野菜である。だからそれを前面に出して味わう。本来は蕎麦も香りの食べ物とされているから、蕎麦を主役と考えると、たとえば《寺方蕎麦》にあるように大人しい大根などを使うのが伝統的手法であろう。
しかしながら、創造とは二つ以上のものを組合わせる統合である。林先生は、あえて香りの強い独活+後で述べるが個性の強い「菊谷」さんの蕎麦+強い香りをもつ七味をぶっつけた。先の《寺方蕎麦》が静かな尺八か三味線の独奏だとすれば、林先生の《東京独活蕎麦》は菅樂器、弦樂器、打樂器を合わせて演奏する交響曲に似ている。
☆亀戸大根
江戸における大根は5代将軍綱吉が尾張から種を持って来て、練馬で栽培させたときから始まる。
亀戸は、徳川14代将軍家茂のころに大根作りが始まった。香取神社(江東区亀戸3-57-22)周辺が栽培の中心地だった。一帯は荒川水系によってできた肥沃な粘土質土壌であったため、肉質は緻密で白く、根は30cmていどと短い。これなら生産者は楽かもしれない。なにせ練馬大根の引き抜きを体験したことがあるが、長さ1mちかくもあるとなかなか素人は引き抜くことが難しい。大蔵大根になるともっと大きい。
亀戸大根の、現在の主要生産地は小岩辺り。われわれは木村さんの畑で育てられた亀戸大根を求めた。
「江戸の大根は真白、茎も白い。この白さがイキであると江戸っ子に好まれた」と大竹先生に教わったので、挿絵を描くとき「白」を意識した。
大根出盛り期は晩冬~春だというが、大根というのは生や煮物、漬物にして春夏秋冬四季を通して食される万能野菜である。林先生は蕎麦料理らしく返しに漬けた。
☆野良坊菜
江戸では、徳川10代将軍家治のころ、菜種油を採るために、幕府が五日市(あきるの市)の農家に野良坊菜の、栽培法を授けたのが始まりだという。1767年、代官伊奈備前守忠宥(1729-70)が名主代表の四郎衛門と五兵衛に種子を配布し、小中野・網代・引田・横沢・舘谷・高尾・留原・小和田・五日市・深沢・養沢・檜原の12ケ村に栽培を命じた。その若菜が食材としての野良坊菜である。出盛り期は晩冬~春、われわれは小平市の宮寺さんの畑で育てられた野良坊菜を求めた。
菜物の絵は難しい。私のような拙い筆では、野良坊菜も、おそらく小松菜も、菠薐草もみな同じになるだろう。
林先生の野良坊菜料理は、「胡麻塩ヨーグルト和」、「煮浸」、「直焼」の三種であった。要するに、(1)和、(2)煮、(3)焼という和食料理の三つの基本である。
時に、「今日は何を作ろうか」と迷うことがあるだろう。そのときは「和るか、煮るか、焼くか、と考えればいいではないか」という林先生の提示だろうか。それに気づいて「なるほど」感心すれば、それだけにとどまらず、自己流に取入れるのが、セミナーだ。
☆「菊谷」の蕎麦
今日、「菊谷」さんで供された蕎麦は次の5つである。
1) 埼玉三芳産の栃木在来+常陸秋そば+茨城岩瀬産 常陸秋そば
2) 東京桧原村在来種 (二八)
3) 奥武蔵吾野産 (外一)
4) 茨城岩瀬産 常陸秋そば+栃木益子産 常陸秋そば (二八、1日熟成)
5) 富山山田清水在来+栃木益子産 常陸秋そば (外一、1日熟成)
まるで珈琲か、葡萄酒のリストを見るようだ。多くの品種を手品のように使いこなす「菊谷」さんは、私が感心する蕎麦屋さんひとつである。
こういう個性的な蕎麦と独創性のある林先生の料理をぶつけてみたかった。それが今日の狙いである。
☆甘味
締めの甘味が出る。《独活の桜包み》を見ただけで、皆さんから歓声が沸上がった。美味しい料理とお蕎麦とお酒で、至福の御中になっているのにもかかわらず、「甘い物は別腹」と言わんばかりの歓声である。映画『Sex and The City』では仲良4人組の女性が度々歓声を上げるが、女性の歓声は「Yes」のサイン。桜の葉に包まれた独活の甘煮を見ただけで女性は美味しさを直観する。今日の甘味も大成功!
さて、文字通り「宴酣闌」だが、今日のセミナーも締める時がきた。
大竹先生が推奨するヘルシーな江戸野菜、それを使っての林先生の創作料理に、菊谷さんの個性的な蕎麦、そして手伝うスタッフの働き・・・。だけではない!楽しく、美味しい「宴」には、お客様の歓びが必須である。
次の「夏の章」をさらに期待したい。
参考:JA東京中央会『江戸・東京 農業名所めぐり』(農文協)、映画『Sex and The City』『Sex and The City 2』、
◎江戸ソバリエ協会サイト「打ち立てニュース」
http://www.edosobalier-kyokai.jp/
◎大竹道茂先生のブログ「江戸東京野菜通信4/1. 4/2の記事」 、
http://edoyasai.sblo.jp/article/64259129.html
◎林幸子先生のブログ
http://gout.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-e25f.html
◎江戸ソバリエ「石臼の会」のブログ
http://edosobalier-ishiusu.seesaa.net/article/353603462.html
冬の章―第176話
《 蕎麦膳 》シリーズ(第190、189、180、176、171、170、166、157、154、153、150話、)
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕