第197話「俺達は人間 協力はするが 獨立する」
食の思想家たち十七、武者小路實篤
「蕎麦は文化を薬味にして食べるが、うどんは慣習で食べる」、と私は思っている。
それは芭蕉翁が「蕎麦は江戸の水によく合う」と看破した通り、蕎麦が江戸という文化都市で育ったためだろう。
その文化度のある蕎麦でも、都会と地方ではちょっとした差があるようだ。
というのは、某区の学習講座の担当の方がこんなことを話された。
「最近は、蕎麦打ち講座だけ、食べる講座だけ、座学だけというのはダメで、それらを組合わせた講座を打出さなければ人気がない。
ところが、こんな動きを地方の友人と話してみたが、地方ではそこまでやると複雑になって却って敬縁される」と言われたという。
このちがいがまさに文化度である、と西日本の片田舎で育った私にはそう見える。
要するに、蕎麦打ち講座+蘊蓄座学、あるいは食べる講座+蘊蓄座学といったちょっと企画を工夫しなければ、文化度の高い東京人には受けないらしい。
見方によれば、「手打ち、蘊蓄、食べ歩き、粋な仲間と楽しくやろう」をモットーとする江戸ソバリエの講座方式になってきているわけだ。
その江戸ソバリエの講座は、元はといえば十数年前に文京区で小規模ながら実施していた〔食べる歩き+蘊蓄〕、あるいは小田原でやっていた〔蕎麦打ち講座+蘊蓄座学〕が、現在の江戸ソバリエ認定事業の母体となっているが、各々の講座名を「耳学」「手学」「舌学」「脳学」と冠したのが始まりだった。そのヒントになったのは、武者小路實篤の詩「俺達は人間 協力はするが 獨立する」だった。
武者小路の、この「協力と獨立」を採り入れたことから、われわれも変身していった。
話は変わるが、先日サッカーをテレビ観戦していた。2014年W杯ブラジル大会のアジア最終予選だった。ご承知の通り、試合終了間際に得たPKを本田が決め、W杯出場が確定した。
このときの本田選手のコメントがいい。「日本はチームプレイはいい。あとは個が強くなること」。
本田選手の言う「チームプレイと強い個」の関係が、まさに武者小路實篤の思想「協力と獨立」である。
そして私は、こうした法則は人間同士のことに限らず、システムにも当てはまる普遍的なものだ、と思った。
よって、単に「教養+体験」という組合わせではなく、各々は組合わせもするが、独立もしているという考え方⇒「教養」+「体験」という併立システムを思いついた。
その各々の存在を証明するために各々に名称を冠して「耳学」+「手学」+「舌学」+「脳学」としたのである。
ご承知と思うが、武者小路實篤は大正7年宮崎県木城村に「新しき村」を創ったが、一帯がダム建設によって水没することとなり、「村」を昭和14年に埼玉県毛呂山町へ移した。その目的や内容はすでに現代では通用しないだろうが、そのときの志は理想郷へ向かうものだったにちがいない。その向う者の資格が〝協力〟と〝獨立〟であったのだろう。
ところで、当協会は団体名の英字表示を、江戸ソバリエのT・Mさんからの提案もあって〖Edo Sobalier Society〗とした。
理由は、〖Society〗の中に「協力と獨立」という世界を感知したからであった。
それは獨立心を尊重する江戸ソバリエたちが、「江戸ソバリエ」という旗のもとに集まって、粋な仲間と協力し合い、自身の世界を創っていくイメージであったのである。
参考:武者小路實篤『人間らしく生きるために』(新しき村発行)、武者小路實篤『新しき村の生活』(新潮社)、
「食の思想家たち」シリーズ:(第197武者小路實篤、194石田梅岩、192 谷崎潤一郎、191永山久夫、189和辻哲郎、184石川文康、182 喜多川守貞、177由紀さおり、175 山田詠美、161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、
〔千代田区生涯学習講座講師、 朝日カルチャー野外講座講師、 桜美林大学アカデミー講師
☆ ほしひかる〕