第441話 モンゴルのお土産

     

~ 火打石・ナイフ・箸 ~

「はい。ほしさんのおもちゃ♪」
親しい友人がモンゴルへ行くというので、「モンゴルのナイフ&箸セットを買ってきてほしい」とお願していたが、今日お土産として頂いたときそう言われた。
おもちゃ・・・。
私の箸コレクションの中に入れたかったのだから、まさにズバリだった。
「少年のころ、夢想の霧の中でくるまっているほど楽しいことはない。私の場合、口もとに薄ひげが生えてくるころになっても、この癖は癒らなかった。」
司馬遼太郎の『モンゴル紀行』はこんな書き出しから始まっているが、大作家ならずとも、男子には大小問わずにそういうところがあると思う。
さて、よく「人生に影響を与えた本を挙げよ」という問い方があるが、仮に私に訊かれるとしたら、私の場合は大学生の頃に偶然読んだ井上靖の『蒼き狼』だろう。
何しろ、それがきっかけで、「騎馬民族」=「非農耕民族」というものがずっと気になり、そして歴史その物が大好きになったからである。
そんなわけで、歴史を理解する上で役立物や役立事は、私にとって「大切なおもちゃ」であり、「お宝」なのである。

だから数十年後、機会があって万里の長城に立ったときも、私は『蒼き狼』の騎馬軍団の侵攻する軍馬の音が聞こえてくるような戦慄に感動したものであった。
数万騎の騎馬軍団が津波のように押し寄せてくる!
中原の農耕民族の漢人にとっては恐怖だったらしいことは、こんなとてつもない長城を造るにいたったことから想像できるというものだ。

なぜ、そんな攻防が起きるのかといえば、
農民が土を耕すこと、それは天の喜ぶこと。しかし、それは放牧民にとって悪である。―
要するに、騎馬民族が田畑を蹄で蹂躙することは、農耕民族の怒りを買うこと。また農耕民族が牧草地に鍬を入れ耕すことは、遊牧民族の怒りを買うこと。
という具合に、農耕と牧畜はまったく相容れぬ生産システムだというわけである。

ところで、非農耕民族として、よく「騎馬民族」、「遊牧民族」、「狩猟民族」という言葉を聞くが、そもそも300万年前の太古、この地球上に類人猿が出現し、また3万5,000年前に現生人類となってからも、ずっと人類の祖先は採集狩猟で生活をしていた。
それが、1万年前の昔に植物を栽培する農耕の民と、動物を家畜化する遊牧の民へと進化した。
農耕民は、メソポタミアで小麦を栽培し、揚子江中流域では稲の栽培を始めた。
遊牧民は、犬や馬と共に羊や山羊を飼い、そして8,000年前から始められたという遊牧史上最高の技術「搾乳」によって、乳・ヨーグルト・チーズ・バターなどを生産するようになった。
その遊牧民族の一部が、より攻撃的となったのが騎馬民族である。その騎馬民族の中で、最初に国家を樹立したのがスキタイであることは歴史本に紹介してあることである。彼らは前8世紀末頃東方から南ロシア草原に現れ、前6世紀以後から南ロシア・北カフカス草原一帯を領土化(国)していた。
続いて、前3世紀末に匈奴。2世紀半ば頃に鮮卑が南満州からモンゴル草原に進出、3世紀中頃には分裂し、幾つかは「五胡十六国」(304-439)を建て、やがて鮮卑の一部族拓跋が最初の大王朝「北魏」(386-534)を建国した。
さらにはモンゴル高原を中心として、柔然(5世紀初~6世紀中)、突厥(?~8世紀中)、ウイグル(?~9世紀中)、契丹(「遼」916-1125)、女真(「金」1115-)、モンゴル(「元」1271-1368)、ジュンガル満州(「清」)が興亡。また東方ではツングース系貊族が「高句麗」(紀元前37-668)を建国した・・・。

ここで重要なことは、祖先が「栽培」と「搾乳」という大いなる食生産システムを開発したことによって、われわれ人間は現在も繁栄を続けているということである。
しかし両民族の生産体系は、かように根本的に異なっている。だから、生活光景も違ってくる。
冒頭の小説『蒼き狼』はモンゴルの成吉思汗の元建国の物語であることは、有名すぎる話であるが、私の知っているモンゴル人は「モンゴルの、羊肉と馬乳酒はとても美味しい」と言っていた。
モンゴルの羊というのはモンゴル在来種であろう。脂が多く水分が少ないといわれている。だからか、彼らは秋冬場に羊肉を喰い、春夏場は乳製品を食べるという。
また馬乳酒は、先述の『蒼き狼』の中でも重要な役割をもって書かれている。ほかに宴会や食事の場面も描かれているが、広大な草原を移動する遊牧民の食事はそれに即した形をとっている。たとえば、お土産の「火打石&ナイフ&箸」は腰に携帯している。
おそらく蒼狼軍団の宴でも、炊事係が火打石で火を点けて羊を丸ごと焼き、仲間は馬乳酒を飲みながら、肉が焼けるのを待って肉がほどよい色になると、それをナイフ切り取り、箸で食べたのだろう。
もちろん、これは伝統的食風景ではあるが、「ナイフを使う、使わない」が、彼らとわれわれ農耕民族との違いである。

ト、こんな風に遊牧民族のイメージを整理する機会をもてたことが、ほんとうのお土産なのかもしれない。
最後に、「美」「善」「祥」「義」「養」など価値ある意味をもつ漢字は「羊」から成っている。
それらの漢字成立の背景を調べることによって、遊牧民族と農耕民族との攻防や交流がさらに分かるようになるかもしれない。

《参考》
江上波夫『騎馬民族国家』(中公文庫)
マルコ・ポーロ『東方見聞録』(社会思想社)
井上靖『蒼き狼』(新潮文庫)
司馬遼太郎『街道をゆく ― モンゴル紀行』(朝日文庫)
衛藤利夫『韃靼』(中公文庫)

〔文・写真(火打石&ナイフ&箸) ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる