第501話 蕎麦の精・高遠彩子論

      2018/07/31  

☆高遠=精霊
Yahooからシンガーの高遠彩子さんと対談をしないかというお話をいただいた。高遠さんは、山下洋輔さんや細野晴臣さんにも注目され、度々共演などして活躍しているシンガーであるが、蕎麦人としても知られた人だ。ただ、「蕎麦打ちはしません、蘊蓄話はしません、ひたすら美味しいお蕎麦に恋しています」とおっしゃってるだけに、私と話が噛み合うだろうかとちょっと心配だった。
それでも、私には課題があった。それは江戸ソバリエとして海外へ行ったときにいつも直面することであるが、日本の蕎麦は中国や韓国と違って、蕎麦そのものを味わう文化であることを分かってもらえるかということであった。
そういう目で見ると、高遠さんは「蕎麦そのものが大好きで、お蕎麦を食べるときは何も付けずに食べる」と公言しているくらいだから、俄然私の興味をひいていたのである。

それにお名前が「高遠」というのが何か象徴的であった。
江戸時代の信州伊那の高遠藩は、蕎麦産地であるのはむろんのこと、夏向けの《寒晒蕎麦》を最初に開発して徳川将軍へ献上した藩であり、また面白い点は「蕎麦」と題する江戸時代の謡曲が残っている所でもある。
伺うところによれば、ご先祖は信州高遠の高遠一族につながるらしいということだった。
戦国時代の高遠城は諏訪氏の臣であった高遠氏が治めていたが、武田氏が敗れたころから、長野市の保科からやって来て、高遠氏の部下になっていた保科氏が代わって城主になった。その保科氏は江戸の更科蕎麦誕生のきっかけをつくった殿様でもある。
とにかく、そんな高遠藩に「蕎麦」という謡曲が残っているというのが面白い。
冷泉為久(1686~1741)という歌人が霊元上皇から蕎麦切を頂戴したときに献じた「寄蕎麦切恋御歌」というのがあるが、その中の二首を骨子として作詞したと伝えられている。
その献上歌というのはこうだ。
呉竹の 節の間もさへ君かそば きり隔つとも 跡社はなれめ ♪
 とわまほし そばはなれ得ぬ俤の 幾度袖をしほりしるとは ♪
謡曲の筋立は、為久の歌に伊那の蕎麦畠に咲く花の精が恋をするというファンタジーであるところから、高遠には今も蕎麦の精霊が息づいているような気がするのである。

☆臭覚+味覚⇒脳⇒表現
蕎麦を愛するシンガーとは? 人間のもつ五感(視・聴・嗅・触覚と味覚)でいえば、歌すなわち聴覚と、味覚が優れている人ということになるだろうか。
聴覚と味覚は五感の中では似ているという。つまり、ドの音とレの音が同時に発せられても私たちはドとレを聞き分けることができる。また料理に砂糖と酢が入っていても私たちはちゃんと利き分けることができる。しかし視覚はそうではない。紫を見て、赤+青だと分析はできない。それは紫という別の色になっているからである。
理屈通りに、聴覚の鋭い人は味覚も鋭い(【聴覚=味覚】)人なのだろうか?(もちろん世間には【聴覚≠味覚】の人もいるが・・・。)そんなことを思いながら、対談に臨んだ。
高遠さんのお話の中で驚いたのは〔蕎麦犬〕という言葉だった。「蕎麦の香りがたまらなく好き」だと言い、ご自身のことを〔蕎麦犬〕とまでおっしゃったのである。集中すると離れた厨房の洗剤の匂いまで嗅ぎ取ることができるらしい。
そうすると、【聴覚=味覚】の人でもあるが、それ以上に【臭覚力】が高遠さんの高遠らしさのようだった。
「らしさ」というのは、こういうことだ。視覚表現というのは色という基準があるからそれにしたがって、「あの色は赤だ」と言えば通じる。音もそうである。「この音はドだ」と言えば分かってもらえる。しかし、匂い表現にはそうした基準がない。だから臭覚力の鋭い人が、それを武器にすれば強烈な個性の持ち主となりうる。
しかも臭覚や味覚というのは、視・聴覚より強く、脳への伝達も速い、と私は思う。だから感情表現が速くなる。景色を見て「きれい」と思うことより、食べて「甘い!」と感じる方が反応が速いし、鮮烈だ。
統計によれば、平均的日本人は聴覚・味覚・臭覚力が低いという。だからかの女のそれは個性となるのだ。
そんな高遠さんの感情表現は、まるで現代詩である。詩人の大岡信と谷川俊太郎は対談(『詩の誕生』)の中で「犬の遠吠え」は詩であると言っているが、感覚や知覚を叫ぶことも詩であると思う。でも、高遠さんの叫びは恋心が溢れすぎて「エロい」と言われることもあるらしい。それは分かる。
たとえば、こんな感じだ・・・。〝「まるやま」の「穴子の天ぷら」はまさに直球剛球、バリンガツンとストレートな美味しさ!! かじりつく刹那の衣の香り高さ。バリッと潔い音を立てたその衣の美味しいこと。その中の肉厚の穴子さんの美味しいこと。ああやっぱり私は、「まるやま」がだーい好きだぁ~

味覚あるいは触覚というのは対象に触れたり、採り入れたりして得る感覚・知覚である。だから視・聴・嗅覚で得る感覚より行動的で生々しい。あの『美食倶楽部』の谷崎潤一郎の触覚は妖しすぎたが、かの女の味覚は健康的だ。そのせいか、対談の時間は楽しいひと時だった。
蕎麦人は、初めて蕎麦と出会ったとき、自分のどの部分と蕎麦のどこが一致したのかをはっきり認識し、それをどう表現するか? ということが大事であると思う。
かの女の場合、ご自身の鋭い臭覚力に気づき、それを蕎麦を対象とした味覚表現に集中させた。その結果、蕎麦もそうであるが、素材そのものを味わうという日本人の味覚志向をえぐり出した。だから高遠彩子さんは日本人の食感覚の象徴の人であると思う。

たまたま来月、外国からお客さんが見えることになっている。その人は、日本のお蕎麦に関心をもっていて、蕎麦の勉強をしたいというのがご希望だ。
私は、お蕎麦を食べるときその外国人に「先ず、お蕎麦だけを味わってみてください。それが日本人の食感からの流儀です」と言ってみようかと思った。

Yahooライフマガジン 「偏愛家2人がマニアックに語る」
https://lifemagazine.yahoo.co.jp/articles/14413

〔文・絵 ☆ エッセイスト ほしひかる