第506話 更科の夜明け
~ 「総本家更科堀井」230周年 ~
☆総本家更科堀井
1789年、麻布永坂に「信州更科蕎麦処」の看板が掲げられた。これが現在の「総本家更科堀井」である。
堀井家の過去帳によると、先祖は信州保科村(長野市)から出てきた布売商であったという。その八代目に当たる清右エ門という人物が蕎麦打ちが上手だったのか、蕎麦の商いへ鞍替えした。
当時の麻布永坂には上総国飯野藩保科家の上屋敷があった。この保科家の祖先もかつては保科村の領主であったと伝えられているが、江戸中期のころは飯野藩七代目の保科越前守正率であったと思われる。
家伝では、地縁から保科のお殿さまも後押され、保科の「科」の字を借りて蕎麦の産地「更級」を「更科蕎麦処」と冠することを許されたという。
明治になってから、更科堀井家の中興の祖ともいうべき四代目の妻トモが登場する。彼女は夫と息子を早くに亡くしていたため、自ら店の陣頭指揮をとっていた。トモは店の看板である「御前蕎麦」をさらに改良して、より白い「さらしな粉」を創り上げた。
そして、トモの跡を継いだ六代目松之助の代には、妹夫婦、母の弟、本店の一番弟子などが独立したため、更科一門が形成されることになった。
しかしながら、昭和の終戦直後に更科堀井家の七代目は一旦店を閉めることにした。それを八代目の堀井良造が1984年(昭和59年)に「総本家更科堀井」として再興、今日にいたる。
☆創業二三〇周年
創業から230周年の2018年(平成30年)9月5日、その記念式典が麻布の「総本家更科堀井」で開催された。
式典は八代目堀井良造会長の「これからも老舗の味を守っていきたい」との御礼の挨拶で始まり、九代目堀井良教社長は「人とのつながりを大切にしていきたい」と挨拶された。
続いて小池百合子東京都知事、明石康元国連事務総長特別代表、服部幸應服部栄養専門学校校長からお祝いの言葉があった。
都知事は、堀井社長がNPO法人日本料理アカデミーの東京運営会委員長として、東京150年を機に東京都が推進している世界に羽ばたく東京ブランドの確立のための「江戸東京きらりプロジェクト」の中心メンバーとして活躍していることを紹介された。
そして、その言葉通り江戸料理の数々が「二三〇周年式典御献立」として招待客に振る舞われた。
一、煮貫冷おろし
一、江戸料理盛り合わせ
鮎蓼すし 竹虎雪虎 アサリ剥き身切り干し 丁半汁
しんじょうの湊揚げ 玉子焼き
一、伊勢海老の天麩羅そば
一、更科の夜明け
この御献立の中の《煮貫》は江戸初期までの麺つゆだ。現在の《蕎麦つゆ》は江戸中期からだから、貴重な復元味といえる。そして伊勢海老の天麩羅は「更科堀井」独自の伝統品。
また江戸ソバリエ協会は、堀井社長のご賛同と、料理研究家の林幸子先生と、江戸野菜研究家の大竹道茂先生とのご支援をいただいて、四季ごとに「更科蕎麦と江戸野菜を味わう会」を共催させてもらっている。
今日の御献立の最後の甘味である「更科の夜明け」は、その会の林先生の料理工夫から生まれた逸品である。「更科の夜明け」の名は堀井社長、河合料理長、林先生、大竹先生と打ち合わせしてるときにポンと出たが、これまでの230周年から、さらなる230年を予感させるいい名前になったと思う。
*詳しい記事は9月25日発刊の『蕎麦春秋』vol.47ほしひかる筆「暖簾めぐり-33」をご覧ください。
〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる〕