第594話‘旨さ’の景観Ⅱ

     

~ 大黒素様と恵比寿様の住む国

先日は深大寺そば学院の講座の日であった。
江戸ソバリエ認定講座の会場である神田明神もそうであるが、深大寺そば学院をやっている深大寺にも、大黒素様と恵比寿様が祀られている。
大黒様は米俵の上に坐しておられ、恵比寿様は鯛などの魚を手にされているため、それぞれ農業の神様、漁業の神様とされている。
昔の庶民は、身の回りの景観を具象化して大黒素様に米俵を、恵比寿様に鯛を持たせたとは多くの民俗学者が指摘していることである。要するに、日本は大
黒素様と恵比寿様が住む景観だというわけである。
「‘旨さ’の景観」を前の第590話で述べたとき、抽象的な話には反応はないだろうと思っていたが、「まったくその通りだ」なんていうメールを頂いたりした。やはり皆さんは日本の景観への思いや、その重要性をご存知なのだなと感心した。

話は変わるが、今宵は六本木「格之進Neuf」で、生産者と料理人の会が催された。参加するのは今日で二回目、誘っていただいたのは「更科堀井」の社長だった。
テーブルには、今帰仁豚とか鳥山畜産の黒毛和牛などが並んでいる。
築地「田村」の社長が、「これはうまいぞ」と《ジャガイモとニンニクで煮た今帰仁豚》を皿にたくさん盛ってきてくれた。今帰仁アグーの社長によると、「沖縄で5000年前から養豚されている在来豚で、一般的な豚と比べ、低コレステロールで、旨味成分のアミノ酸が豊富に含まれているのが特徴である」という。食べると、確かにうまい。今まで食べた豚の中で最高だと思った。
牛も豚も、肉の旨味は、1)濃厚な肉汁の旨味、2)さっぱりした旨味、3)脂バランスのとれた旨味、4)脂の旨味など、どれを評価するかによって違うだろうが、今帰仁豚は、さっぱりした旨味、脂バランスのとれた旨味、といったところだろうか。ふつうなら牛肉がモテモテになるところだが、今日は豚の方がアッという間になくなった。
都内人形町の有名な某肉料理店のT社長も「これは肉の融点をつかめれば世界一の豚肉になるかもしれない」と呟いていた。

ところで、私の席には海苔生産者のAさんという人がいた。まだ40才代前半であろう。その人は「旨い海苔を育てるには滋養に満ちた海にしなければならない。だから環境問題にも取り組んでいる」と話してくれた。
日本の周囲の海が痩せてきた。だから魚が捕れなくなったなどとはよく言われているが、彼に訊いてみると、それは日本の土地、山林が痩せたから海も痩せるのだという。言えば「第590話‘旨さ’の景観」の循環が絶たれているというわけである。アスファルト道をはじめ山や草原や河川や海岸が整備されるにつれ、虫や小鳥や小動物たちが消滅していって、日本の景観=好循環が断ち切られているのである。さらには土地や水は外国人に投資として買い占められ・・・などの話も耳にする。つまり自国人が自国の土地を管理できない状況である。
今日は初対面だったから、このていどの話に終わったが、今日もまた集中豪雨のニュースだ。それらは18世紀後半の産業革命に起因する環境破壊のためだとの叫びがあちこちで起きている。だから、アメリカなど全世界の中高生たちが温暖化に対してNo.のデモを行い始めた。
彼ら子供や孫たちの声は未来からの声である。われわれ世代は、便利簡便さを求めた経済と技術の‘戦士’であった。しかし今の世代や次世代は違う。地球を守る‘守護神’、それが新世紀のリーダーであると思う。

さて、この雑文の結論をどこにもっていこうか!
そういえば、『蕎麦春秋』誌51号で江戸ソバリ認定講座の取材に対し、こう答えた。
料理ということを考えると、①食材である作物については学校で教えてくれる。②その作物を料理する方法や蕎麦打ちはどこの教室でも教えてくれる。③しかし食べ物史を考えるところはほとんどない。江戸ソバリエ講座はそういう場でありたいと申上げた。
これからは環境を犠牲にした産業は許されない。農業もしかりである。そのためには食べ物史をしっかり理解しておかなければならない。だから5000年前からの在来豚や海苔生産者のA氏の思いに謎解きのヒントがあるように思えてくるのである。

〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる