第615話 長~い麺の話

     

ある会の終了後に小林照男さん(江戸ソバリエ)が「《ラグマン》を食べにいきませんか」と誘ってくれた。ちょうどその場に江戸ソバリエ北京プロジェクトの赤尾さんと佐藤悦子さんもおられたので、好奇心いっぱいのこの人たちなら世界の麺に興味を示してくれるだろうと声をかけたところ、もちろんオッケー。
さっそく4人で「レイハン ウィグルレストラン」という店に行った。場所は巣鴨と駒込の間ぐらいの所で、近くに住む稲沢さんに教えてもらったらしい。
目玉はもちろん《ラグマン》だけど、スープやサラダや羊の肉などどの料理も味がよく、おいしかった。厨房で《ラグマン》を作っているところも見せてくれた。それを見ていて思い出した。
だいぶ前、友人が初台の「シルクロードタリム」という店に案内してくれたことがあった。そのとき友人は「どうだ」っていう目をしていたが、北九州出身の私は、中国風日本麺である《皿うどん》《ちゃんぽん》《豚骨らーめん》が中高生時代の夜食であったから、珍しい麺にはあまり驚かない。むしろ浅草の屋台で始まったらしい《焼きそば》なんかは東京では当たり前だろうが、私は上京して、それも30代後半になって初めて食べたくらいだ。
ま、とにかく私は《ラグマン》は《皿うどん》のシンプルなものというのが第一印象だった。しかしそれを「シルクロードタリム」の厨房で作っているところを見せてもらって驚いた。何しろ長い一本麺だ。小麦粉と塩と水で縄を搓うようにして作り、最後はくっつかないようにサラダオイルを塗っておく、と店主が説明してくれた。「麺はどのくらいの長さ?」と尋ねたら「人間の腸ぐらいの長さ」と言って笑っていた。店によってちがうということだろうか。
縄というと日本人は藁縄と思いがちだが、世界ではどんな縄でもある。その縄を人類は約1万年前から使っていた。さらには、つい昨年の暮のTVニュースで、4万4000年前のインドネシアの洞窟壁画で縄でつないでいる動物が描かれてあったと報じていたが、要は人類と縄の歴史は古い。また一口に縄といっても、太いのは「綱」、次が「縄」、それより細いのを「紐」、もっと細いのを「糸」といろいろだ。その縄を搓う(ナウ)のをヒントに土器の輪積み法や麺作りが発想されたと多くの研究者がいっている。
「シルクロードタリム」の店主は誇り高い人だった。「ウィグルの麺が世界最古だ」と信念をもって言っていた。確かに新疆ウィグル自治区のトルファンの遺跡から3000年前の《粟麺》が出土している。しかし少数民族の歴史は複雑だ。この「複雑」というのはきれいな表現であって、古き時代の戦争場面を井上靖は『蒼き狼』で「血と精液の匂いが大草原をつつんだ」みたいな描写をしているが、戦争というものは敗れた民族に悲惨な変遷を強いる。ゆえに歴史を民族から探ることはほとんど不可能にちかい。
よって、歴史解明には物的証拠=遺跡発掘が有力である。そこへ青海省からは4000年前の長さ50㎝ぐらいの《粟黍麺》が出土した。これがいまのところ世界最古だとされている。
この二つの遺跡の粟麺出土によって、漢の時代に西から小麦が入ってきて、小麦麺となる以前の夏王朝時代から中国は麺を持っていたことが証明された、というのが専門家の見解である。
ただ、不思議なことに現代は小麦粉製品が全世界にあふれているというのに、小麦の由来はあまりはっきりしていない。現在のところ、明確にされているのは大麦である。人類最古の農業は約1万年前にレバント地方(シリア、レバノン、ヨルダン、イスラエル、パレスチナ)で起きた突然変異の大麦だったことを岡山大学などが突き止めている。だからイワン・クレフト先生は来日して岡山大学を訪ね、そのついでに江戸ソバリエで講義をしてもらったのであるが・・・。こんな話になると話はつきないので止めよう。
とにかく東京という所は、そうした世界の麺が食べられる。これまでも北京プロジェクトの皆さんと浅草で手延べの《蘭州ラーメン》、新宿「山西亭」で独特の《攸麺》などの中国麺を食べた。また亡くなった平林さんは《米線》が好きだったから、2.3回付き合ったことがある。
だが、ウィグルのような一本麺は他にない。もっとも京都の北野天満宮の近くに《一本うどん》の店がある。こちらは指くらいの太さに1mぐらいの長さの一本麺だが、《ラグマン》より柔らかい。‘はんなり’した掛け汁には柔らかい麺が合うというわけだが、店の人は江戸中期ごろから始めていると言っている。
麺ロードは石毛・奥村先生、また蕎麦は大西・氏原・俣野・伊藤・新島先生など多くの研究実績が百花繚乱。しかしすっきりした一本麺にはなかなかならないようだ。

〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる


写真:シルクロードタリムとレイハンウィグルレストランの《ラグマン》はまったく同じだから、現地ウィグルでもこんなだろう