第641話 未 来 3
緊急事態宣言が解除され、小学校が再開した朝、マンションの玄関ではお子さんを見送るママさんの姿があった。
「車に気を付けてね!」
「お水、持った?」
「マスクの替え、ある?」
もちろん交通事故、熱中症、新型コロナへの〝注意事項〟である。言葉にはなかったが、「知らない人に声をかけられても行っちゃダメよ!」も入っているのかもしれない。
子どもさんは「行ってきます」と手を振って、交通安全のカバー付きランドセルを揺らしながら走って行った。
私たち世代の親は、こういう〝注意事項〟で見送ることはしなかったのに! 何たることかと思った。
ということは、私たちは交通事故、犯罪、環境・熱中症問題を何も解決していないうことになる。そればかりか、この度はコロナ禍まで加わってしまった。
もちろん、社会から問題が消えてゼロになることはないだろうが、それにしても皺寄せが小さな子どもたちにきているのは情けない。これまで私たちは何をしてきたのだろう。あの子たちが背負っているカバンには教科書ではなく、現代社会の問題が詰まっているような気がする。
そんなとき、またもや西村経済再生大臣(または国民抑制大臣⁉)は、「新しい生活様式」というマヤカシの言葉を使って「ソーシャルディスタンス」や「オンライン〇〇」を国民に強いてくる。自らの無策を棚上げして、国民にだけ犠牲を要求し続けるのは明らかに間違っている!
今、政府のやるべきことは、コロナ撲滅対策ではないか。そのためには医療(感染症)体制の充実と治療剤の開発である。それを明示し、その進行過程を国民に対して説明するにあたって、「もう少し辛抱してほしい。それまで不便だろうけれどしばらく〝緊急時生活〟を送って凌いでほしい」とするのが、国民のための政治ではないか。政府の姿は、国民に対して上から目線で「ご苦労」と言いながら、国民にだけ負担をかけていた江戸時代の殿様のままである。
また、たまたまこの朝、江戸ソバリエ講師のY先生から電話があった。Y先生は蕎麦打ち名人として指導をされているが、本職は臨床検査学の先生である。
先生は「授業が始まったが、学生たちはマスクをしていて席も離れているので、彼らが理解してくれたのか、そうじゃないのか、聞いているのか、聞いていないのか、さっぱりつかめない。顔の表情がこんなに大事なのかということが、初めて知った」とおっしゃっていた。
さらにはうちのマンションに小学校の先生がいらっしゃるが、「オンライン授業は生徒の空気・感情がまったくつかめない」とおっしゃっていた。教育とは知識を与えるばかりではない。そもそもが子供たちのオンライン授業と大人のテレワークとは世界が異なることを殿様政治には見えないらしい。服用する薬剤も使用量だって、成人と子供は違う。それをまちがって投与したら、罪になる。法律も成人と未成年は分けてある。なのに、オンライなどでは大人も子供も一緒に扱う。子どもの成長期には何が大事であるかを考えようとしなすいからである。そういえば交通事故もそうである。人命に差はないけれど、それでも大人を傷つけた場合と未成年を傷つけた場合、たとえはぜ未成年に被害を与えたら、永久に免許没収ぐらいにしないと、未来の子どもを交通事故から守れない。
話を戻せば、マスクもオンラインも緊急手段である。なのに政府は「新しい生活様式」だととぼけている。また報道機関も何の意思もなく政府のいう通り報じている。人種差別問題で混乱しているアメリカですら、大統領の暴力的発言に対して、スナップチャットやツイッターは停止などの処置をとっている。権力を監視するのがメディアだという自負があるからである。しかるに日本の報道各社は政府に従順で率先して政府報道部となっている。それにまた国民も何の反発もせずに素直に聞いている。
昔の近江上人の商売のやり方に「三方良し」の精神というのがあるが、現代日本は、政府・報道・国民の「三方悪し」の、不幸な「与党独裁国家」構図ではないかと未来を危惧する。
話はちがうが、マンションのゴミ室を見ると、前からアマゾンの段ボールが増えつつあったが、このスゴモリ生活になってから捨ててある数が約2倍に増えている。
若い人中心に、ネットで購入しているためであろう。ネットで・・・、これも政府は推奨しているし、一般の人も正しいと受け取っている。
ちなみに体温計・フェイスシールド・マスク・消毒液などは薬局に売ってない。尋ねると「薬局には回ってこないから、ネットで買った方が確実です」と教えられ、買ってみたら「中国から送られてきた」と多くの人が言っていた。
つまり日本国民が、世界中の人が、中国製品を毎日のようにせっせと購入し続けているわけである。
こうした現在の経済流通システムも間違っている!
われわれ民主国家に属する人間は、非民主国家との経済取引は抑えなければならない。それは民主主義を滅ぼし、独裁主義を助長することに手を差し伸べることになるからである。民主国家は先ずは民主国家どうしの経済取引を考えるべきである。それが国際協力の第一歩である。イタリアやギリシャやハンガリーは再考してほしい。
ソ連が崩壊してから資本主義は驕り過ぎ、リーマンショックを招いた。にもかかわらず、米・欧・日の経済人はまだ気づかず、中国に工場を作り、かの帝国の成長を支援してきた。つまり経済人が進めてきた、グローバル経済や、地球環境軽視は間違ってきた。そのことがコロナ禍によってレンドゲンで透視されたように浮かび上がってきた。
もちろん、われわれは中国の価値ある文化を尊重しなければならないし、中国人と仲良くしなければならない。しかし民主主義国家は非民主国家とどこかで一線を画すことも必要である。そのなかで、都市交流による良好関係を結ぶことが一番いい。そのうえで人々が民主的生活を送るようになる。それが未来の地球構図である。
近所にある大塚公園は昔の大名屋敷跡だけあって、適度に広くて、木々に恵まれ素晴らしい所である。
そこでは若いパパさんやママさんや幼児たちがほんとうに楽しそうに遊んでいる。この度のスゴモリ生活では家族というものが一番大事だということが、改めて認識されたところもあるように思う。
あの児たちが大人になる30年50年後、われわれはもちろんのこと、政治家や経済人は未来の地球のために正しい道を進んでほしいと願っている。
〔文・絵 ☆ エッセイスト ほしひかる〕