第681話 ディアーヌの蕎麦クレープ

      2020/12/23  

『世界蕎麦文学全集』物語23

 だいぶ前だった。神楽坂駅近くに「カトリーヌ・ドウ・メディシス」という洋菓子店があった。偶然通りかかったが、凄い名前の洋菓子店があるものだと思いながら通り過ぎ、用事を済ませた後に立ち寄って、ついケーキ買ったことがあった。それからまた神楽坂を訪れる機会があった。ところが入口には「まもなく閉店」の貼紙がしてあった。店内に入って伺うと、「もう高齢だから引退する」という。店名からして日本の洋菓子のパイオニア的気概をもった人であることがうかがえたので、そのことを伝えると恐縮しながらそのつもりではありましたが、もうそろそろ・・・」とおっしゃった。

  カトリーヌ・ドウ・メディシス(1519~89)は、1533年にフィレンチェ共和国の大富豪メディチ家からフランスのヴァロア王家アンリⅡ(1519~59)へ嫁いだ姫である。結婚した時は二人とも15歳。カトリーヌも知的で上品な姫君であった。                                  
  しかし当時のフランスはまだ後進国。それに夫アンリⅡは王子といえども次男坊、そのうえ夫は父王から疎まれている。カトリーヌは忍耐の日々をおくっていた。さらに屈辱的だったのは夫に美貌の愛人ができたことだった。        
   愛人の名前はディアーヌ・ド・ポアチエ(1499~1566)。ディアーヌを英語ではダイアナという。われわれはイギリスのダイアナ妃を思い出すが、ディアーヌは15歳のときに39歳のパリ郊外のアネ城の領主ルイ・ド・プレゼ(1463~1531)に嫁いで、二人の娘をもうけていた。
   アンリⅡ王子とディアーヌの出会いは、1525年パヴィアの戦いでスペインに敗れたフランスが兄弟王子を人質として差し出すときであった。幼い兄弟は不安であったが、兄王子は周りの皆から慰められていた。しかし弟王子は一人ぼっち、そのとき王家に仕えていたディアーヌ(27歳)は弟のアンリⅡ王子(7歳)を抱きしめてあげた。ディアーヌには8歳と5歳の娘がいたから、母親のような気持でそうしたのかもしれなかった。しかしこのときからディアーヌはアンリⅡにとって忘れられない女性となった。
   その後、二人の王子は人質から解放された。
   そしてアンリⅡ王子12歳のときだった。パリのサンタントワーヌ通りに各地から騎士が集まって騎馬試合が行われた。試合前には、騎士は愛する女性の前に軍旗を振り下ろすのが風習になっていた。アンリⅡは迷うことなく未亡人になったばかりの32歳のディアーヌの前に手にしていた軍旗を降ろした。アンリⅡの思いは宮廷の者が知るところとなったが、二人がいつ結ばれたかは定かではない。

  1536年、アンリⅡは兄王子の急死によって、王太子となり、1547年にはアンリⅡが王位に就いた。カトリーヌも王妃となった。
 一方、アンリⅡ王とディアーヌの愛はずっと続いていた。ディアーヌは20歳も30歳も若く見えたという。だが、アンリⅡ王の死(1559年)によって二人に別れがやって来た。王の死後、王妃カトリーヌはディアーヌを追放した。
  ディアーヌは60歳、それでも美貌の人だった。しかし7歳の王子を母親のように抱きしめてから33年の歳月が流れていた。ディアーヌは古巣のアネ城に戻った。アネ城はパリから西へ約70~80km位、領地であるノルマンディー方面へ行く途中にあった。世紀の美女といわれたディアーヌはそこで生涯をとじた。

  その後、王位は息子たち(フランソワⅡ、シャルルⅨ、アンリⅢ)が継ぎ、カトリーヌは王母として実権を握った。
  そのカトリーヌはヴァロア王家に嫁ぐとき、実家のメィチ家から多くの料理人を連れ来て、ごっそり先進国の料理文化をフランスに持ち込んだと多くの人が述べている。が、実はまだその文献的証拠は見つかっていないらしい。しかし当時、古代ローマの直系であるイタリアの威信は全欧の憧れであった。文学、美術、そして料理がフランス宮廷に影響を与えていたことも事実である。カトリーヌの宴席では銀のナイフやフォークが使われるようになり、料理は一段と美味しくなった。そして婦人たちも列席できるようになり、華やかになっていた。
  
  ある日のこと、知人と新宿の「サロン・ド・テ・ミュゼ イマタミナコ」の店で待ち合わせた。私は20分くらい早く着いた。カウンターに今田美奈子著『貴婦人が愛したお菓子』が置いてあったから購入した。開いてみると、カトリーヌ・ド・メディシスが愛した《洋なしのフランジパンクリーム》《サバイヨン》《フィナンシェ》や、ディアーヌ・ド・ポアチエが愛した《蕎麦粉のクレープ》と《チーズケーキ》が紹介してあった。著者によると、二人の時代にはクレープ、チーズケーキ、ブディング、ドーナッツ、パイなどの菓子が人気だったという。
  《蕎麦粉のクレープ》はアネ城の領地ノルマンディの名物である。だから私は《蕎麦粉のクレープ》を食べてみたかったが、残念ながらこの店にはなかったので、《チーズケーキ》を頂いた。ディアーヌ・ド・ポアチエのようなチーズの舌触りが心地よかった。

『世界蕎麦文学全集』
48.今田美奈子著『貴婦人が愛したお菓子』
* オルソラ・ネーミ、ヘンリー・ファスト『カトリーヌ・ド・メディチ』

文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
写真(アネ城):ネットより