第702話 日本語の遺伝子
『世界蕎麦文学全集』物語 44
あるライターさんが農作物関係の取材文を書いて、取材先の事務所に原稿をチェックしてもらったら、「植物はカタカナで書くものだ」と言われ、稲⇒イネに訂正された。しかし稲刈りはそのままだったという。彼は「同じ文章の中にイネと稲刈りがあっては様にならない。だからといってイネ刈りじゃな~」と嘆いていた。
たしかに、植物園なんかに行くと、イネとか、サクラ、ヤマザクラ、ソメイヨシノとかカタカナで記した札が貼ってある。
しかしである。植物園ならまだしも、植物はカタカナでといったら、和歌はどうなる。
「桜花 咲きにけらしな あしひきの 山の峡より見ゆる 白雲」(紀貫之)
「敷島の 大和心を 人問はば 朝日に匂ふ 山桜花」(本居宣長)
これを「サクラ花・・・」や、「・・・ヤマザクラ花」としたら美しくない。日本文化の破壊である。なぜこんなことになったのだろう。
そもそも、日本語の作文というのは、主として名詞・動詞・形容詞で成っている。その場合、とくに名詞は漢字というのが一般的である。もちろん易しくひらがなで書くときや、外来語などはカタカナで表記する例外もある。他の例外として、夏目漱石の小説『吾輩ハ猫デアル』などのように強調したい時などもある。われらの「江戸ソバリエ」もそれに倣った。なにせ『吾猫』は蕎麦の食べ方の教科書であるから、追従する理由と価値は充分にある。
そもそもが、カタカナというのものは、平安官僚たちが漢文訓読の補助符号として使用していたものである。
月明蕎麥花如雪
月明ノ蕎麦 花ハ雪ノ如シ
そんな中の平安中期、日本の行方は唐文化中心か、国風文化中心でゆくか揺れていた。しかし左大臣藤原時平は唐文化偏重主義者の頭である右大臣菅、原道真を大宰府へ追放した(901年)。以後、日本は国風文化育成の道を辿ることになり、紀貫之の『土左日記』(934年)から、ひらがなが日本語として認められるようになった。
もちろん、過去の政府に文部省も国語審議会的なものがあろうはずはないから、正式な国語はこうあるべきだと決まっていたことではないが、漢字・ひらがなが正式な国の文字であってカタカナはその補助という認識には変わりはなかった。
ところが、明治以降、さらに読み書きがする一般人が増えるにしたがって、多くの人が文章表記するようになった。当然「漢字+ひらがな」文の方がより平易であり望ましいという主張が多くなされるようになり、これが日本語文の基本となった。現在もそうである。
であるのに、なぜ唐突に動植物はカタカナになったのだろうか。理由はわからない。時期は戦後あたりかららしいから、当時日本を占領していたGHQの命令だったという話もあるが、謎である。
そんな謎解きはおくとして、日本人なら、漢字+ひらがなの美しい日本語文を書こうではないかということである。
日本語にも述べたような遺伝子があるだろう。それを大切にしたいものだ。
『世界蕎麦文学全集』
84.夏目漱石『吾輩ハ猫デアル』
文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし✫ひかる
写真:『吾輩ハ猫デアル』