第712話 鯉 幟
今日は5月5日。
江戸ソバリエ協会が加入している和食文化国民会議から「端午の節供には柏餅か、粽を食べましょう」という案内が来ていたから、おやつに食べようと思って、今朝、近所の和菓子屋で買いに行った。
そういえば、先ごろ94歳になる鎌ヶ谷の知人から手紙をもらったところ、出だしに最近は近所に鯉幟が見られなくなりました、と書いてあった。
なので、柏餅を売っている和菓子屋ぐらい店頭に小さな鯉幟を飾っているだろうと期待して見回したが、残念ながらなかった。
長男が小さかったころ、都内では大きい鯉幟というわけにはいかなかったから、小さなものを買ってやったことを思い出しながら、帰宅する途中も注意しながら見ていたが、どこにもなかった。またマンションにも男の児はたくさんいるけど、部屋にあるのか、庭から各窓を見ても見られないようだ。
そこで、「柏餅と鯉幟・・・、組合せで伝統文化でしょう」と思って、むかし利根川に行ったとき、巨大な鯉幟が空に泳いでいるのを観て下手な絵を描いていたものを引っ張り出し、テレビの横に置いたりした。
昼からは、予約していた三遊亭金也師匠(江戸ソバリエ)の落語を聞きに行った。会場は小石川の伝通院。茗荷谷駅から歩いて行く。道すがらやはり鯉は泳いでいなかった。
伝通院に着くと金也師匠がニコニコしながら待っていた。こういうときの笑顔はいいものだと思った。こういうときって、つまり長すぎるコロナ禍のことである。
落語会の部屋は書院だった。昔の建物は欄間が凝っている。庭を見ると、目いっぱいに緑鮮やかな躑躅が広がっていた。今年は桜も躑躅も花が咲くの早かった。一昨年は桜の花を、昨年は躑躅の花を描いたのでしっかり覚えている。このままだと夏の猛暑が怖いなとも思う。
落語は久々だから、楽しかった。落語というのはもともと庶民の芸能だから、街の寄席でやるものだろうが、昨今は伝統芸能に入るだろう。だから伝統的な建物でやるもいいなと思った。それに落語は江戸と関西はちょっと違う。また落語家さんには、声がバカでかい人と、説得するように静かに語る人がいる。どれがいいとかの問題ではなく、時と場とタイミングで面白味が色々だと思った。
聞けば、金也さんという人は、ここ伝通院のすぐ近くの出身だそうだ。昔は伝通院の塔頭で、「お蕎麦の稲荷」といわれた慈眼院沢蔵司稲荷の境内で遊び回っていたという。だから彼は沢蔵司稲荷さまのご縁でソバリエになったのだろう。
その慈眼院の欄に描かれている白狐はなかなかきれいだ。というわけで私もそれに倣って描いたことがある。しかし背景を稲荷なら朱色だろうと考え塗ってみたが、ありきたりのデザインになってしまった。なので、金色で意味不明の輪をグルグルと描いてみたりした。そうするとますます駄作になってしまったが、平凡さから何とか脱しようという気持だけは失いたくなかったのだよと自分に言い訳をしながら、柏餅を頂いた。
〔エッセイスト ほし☆ひかる〕