第784話 五色の《在来種》を味わう
2022/04/15
第2回目の「蕎麦文化を識る会」(主催:サロンage)が西麻布の「おさめ」で開かれた。
「おさめ」の店主の納さんは「竹やぶ」や「かりべ」で修業された若きエースである。
会の前に打ち合わせに行ったとき、当日は5種の在来種を供する予定とうかがったので、その日の膳の前に「在来種」について少しお話することにした。
植物には、野生種と栽培種がある。その栽培種には、在来種と改良種がある。
現在、蕎麦登録品種は約40~50種であるのに対して、蕎麦在来種は約170種が登録されているから、一般の方が想像されている以上の数だと思う。これでも全部が登録されているわけではなく実際には2倍ちかくが在るのかもしれない。
在来種の特徴は、改良種が目的をもって改良されるために、忘れられた貴重な遺伝子を今も保持しているというところにある。
蕎麦の野生種というのは蕎麦がタデ科だけあって、蓼そっくりで、実もあるかないかぐらいである。簡単にいえば、雑草のような植物である。それを古代人はよくもまぁ栽培しようと思ったものだと驚くが、とにかく人類は蕎麦栽培を始めた。
時期は麦や稲よりも遅いが、それでも今から約5000年前。中国の雲南・四川省一帯の民が野生種を意思をもって育て始めた。これが栽培種である。育てていればそのうちに知恵も付いてくる。実が大きかったり、1本の蕎麦に多く実が付いているものを種として、翌年に撒くようになる。それが改良種の始まりである。
その蕎麦は、⇒中国北部⇒朝鮮半島を経て⇒縄文晩期ごろに対馬へと伝来し、⇒北部九州⇒本州を北進した。よって、対馬在来は現在の日本蕎麦の原種にちかいとされている。だからか、在来種はたいてい小粒で、野趣性の味を保っている。
ところで、「在来種」という場合の「在来」というのは明確に定義されていない。だからその土地で10年以上栽培され続けていたものなら「在来種」とよんでもいいなどと言われるが、環境・条件などを考慮しなければならないから、そう簡単ではない。ともあれ、江戸時代以前の古くから、あるいは江戸の香がまだ残っている明治時代から栽培を続けていたものは間違いなく「在来種」といっていいだろう。
さて、今日蕎麦会では、対馬在来(長崎)、伯耆在来(鳥取)、乗鞍在来(長野)、大野在来(福井)、成田在来(千葉)の5種類が供された。
そのうちの、乗鞍在来(長野)は《蕎麦掻》で、あとは玄挽きだったり、粗挽きしたりしての《蕎麦切》であった。それに最後の甘味《蕎麦茶プリン》はダッタン蕎麦だから、6色の蕎麦切料理を楽しんだ。
それにしても、これほど多くの在来種を料理するのは大変なことだ。
基本的に食材というのは、生産する人、生産地の人はその食材の癖を知っているから、料理もその癖を活かしたりして作ることができる。その代わりその人は他の生産地の食材のことは分からない。
それを乗り越えることのできるのが、都会のプロである。都会は生産材が少ないから、初めからそのつもりで料理技術を磨かなければならない。それができるのがプロである。
加えて在来種はもっと大変だ。在来種は生産量が少ないから市場にはあまり出回らない。流通業者さんに言えばすぐ持ってきてもらえるというわけにはいかない。そこから直接生産者とのお付合いが始まる。畠に出かけることもある。草刈り、種撒き、収穫のためにである。しかしこうして料理人は食材の特徴をつかんでいく。
さらには蕎麦の場合は石臼で手挽きする。玄挽きだったり、粗挽き・・・だったり。これが5種もあったらどうなると、私だったらパニックになるが、今日の「おさめ」さんら今の40, 50代の蕎麦屋さんは、それに挑み、蕎麦の未来を切り開いている。実に尊敬すべき姿勢であると思いながら、美味しく戴いた。
ここでぜひとも付け加えたいことがある。蕎麦屋さんは昔からご夫婦は仲がよいとされているが、特に最近のご夫婦はそうである。奥さんが側面から店主を支えておられようとしていることに気づく。
こちら「おさめ」の奥さんもそうだった。どこが、何がというわけではないが、初対面からそれを感じる。たぶんこちらの奥さんは蕎麦文化の視点から支えようとしておられるのではないかと思った。
最後になるが、いま世界を揺るがしている問題のロシア、ウクライナには蕎麦は紀元1, 2世紀ごろに伝来した。そして現在の世界の蕎麦生産高は、ロシア、中国、ウクライナ、フランスがベスト4である。
だからといって蕎麦のためにだけ言うわけではないが、ニュースを見るたびに、これからは人類のために、地球のために「NO WAR」でなければならないと思う次第である。
〔江戸ソバリエ ほし☆ひかる〕