第840話 そこに、いる。
2023/04/17
~ 演劇ユニット『あやとり』」の第2回公演 ~
神田まつやの小高社長に相談事があったために、林幸子先生と伺った。
用件を済ませたところで、俳優をされている(社長の)お嬢様の公演のことを思い出し、チケットを購入した。演目は『そこに、いる』、会場は下北沢の「小劇場 楽園」ということだった。
その日、下北沢の小劇場の階段を下りて行った。暗い、狭い。だから面白そう。待っていると明かりが点いて始まった。
舞台は、ある惑星の、ある家という設定だった。その家に閉じ込められたも同然の女性3名と男性3名の「選ばれし者」が佇んでいた。
経緯はこうだった。
「おめでとうございます。あなたは選ばれし者です。」
2028年のある日、突然国からこんな手紙が届いた。
人類惑星移住化計画に伴う実験のために、日本からも6名の「選ばれし者」が集められた。期間は2ケ月、惑星での住む所と宇宙食は用意されており、自由に暮らせる「楽園」だと聞かされたし、任務遂行後には多額の謝礼金が受け取られるとも言われた。そして誰が選ばれたかは国民の誰も知らない、ということだった。
もちろん6名は初対面、宇宙での生活は自己紹介から始まった。
ところが、遠慮や、疑いや、いがみ合いの日々のなか、食べることと寝ること以外何もない退屈な毎日。しかしその非日常的な日常が続いていくうちに、6名は互が何者かが分ってきた。痴漢に間違われて全てを失った男、できる兄に比べて親から差別され捩れて育った男、虐待されていた女、貧乏のどん底で育った女など、「選ばれし者」というより、「落ちこぼれ者」ばかりだったのである。そして6名に共通することは全員が孤独だということだった。言葉を換えれば、この宇宙の未知の惑星で死ぬようなことがあっても誰も気にしない者ばかりだった。それが分かったとき、全員が国の言うことは信用できるのか、騙されたのではないかという思いから、6名に共通する敵(国)が明らかになったような気がした、そのとき、一番若い女性が妊娠していることに気付いた。「絶対生んで、育てる」と言い切る彼女を見て、6名は心がひとつになって素直になることができた。それは新しい生命の可能性が目の前に出現し、生きる意欲がわいてきたせいかもしれなかった。
最後の場は、ひとつになったみんなが、今までは生命を維持するだけの“餌”ていどだった宇宙食を「美味しい」と言って食べているところで幕となった。
6名の演技は上手だった。小高社長のお嬢様もよく身体が動いていた。それにしても、私たちのように食に携わっている者にとって、「美味しい」と言って食べているところは大事な結論だと思ったが、思えば両親が外食屋に従事している彼女が、食の役割を一人で背負っているところが微笑ましく感じた。そのせいか公演中に時折、私は昔の名画『駅馬車』を想い出していた。たしか、あの映画も脇役は飲み物だった。
映画『駅馬車』はアリゾナ州トントからニューメキシコ州ローズバーグへ向かって駅馬車が疾走する場面が主であった。狭い駅馬車の中には、牢破りでお尋ね者、街を追われた娼婦、妊婦の貴婦人、元は上流階級出で今は流れの賭博師、昔は名医だったというアル中男・・・とほとんどがあぶれ者ばかりだった。そこへインディアンの襲撃に遭遇する。男たちは一致して危機と戦う。そして何とか切り抜けて駅馬車がニューメキシコ州のドライフィールド駅に着いたとき、貴婦人が産気づく。アル中の医師は濃いコーヒーを浴びるほど飲んで脳を覚ませて無事に赤児を取り出した。出産騒動後、娼婦の女は皆にコーヒーを淹れてやる。つまり、ここでも戦いと新しい生命の誕生と皆をホッとさせる飲食がみられたわけである。
今日の公演は「演劇ユニット『あやとり』」の第2回公演ということだった。
『あやとり』は、作・演出の森菜摘さん、小高社長の長女小高愛花さん、妊娠した若い女性役のこころさんの女性3名であるという。
帰りの小田急線の電車の中、今日の作品は名作ではないかと考えていた。
現代の社会問題に対して国は無策であるが、その無策から生まれた「落ちこぼれ者」が、反転して本物の「選ばれし者」としてそこにいるではないかという感じを観客にいだかせる物語であったと思う。
〔江戸ソバリエ&エッセイスト ほし☆ひかる〕