第937話『今昔芋粥物語』
作家の大岡玲先生ご夫妻と麻布の更科堀井でお蕎麦を食べる機会があった。
そのときに『今昔物語集』を訳したとのお話をうかがったので、買い求めて読んだ。
その中に『利仁将軍が五位の侍に芋粥をご馳走する話』(平安時代の作)というのがあった。芥川龍之介が、これを典拠として『芋粥』(大正五年の作)を書いたことはよく知られているので、ちょうどいい機会だと思って2冊を比較しながら読んでみた。」
☆『利仁将軍が五位の侍に芋粥をご馳走する話』
こんな話だ。
平安朝のころ、関白藤原基経に仕える将軍藤原利仁という武人がいた。利仁は越前の藤原有仁の婿だったので、住まいも越前にあった。
ある年のこと、関白の屋敷で正月の大宴会が開かれた。終了後、残ったご馳走は屋敷に仕える侍たちがありつける習わしになっていた。その侍のなかに五位という者がいた。この男もご馳走を飲み食いしていたのだが、そのなかに《芋粥》があった。五位はこんなにうまい《芋粥》を飽きるほど食ってみたいものだと思わず洩らした。それを耳にした藤原利仁が何を思ったか、越前の自邸に招いてくれた。
五位が利仁の屋敷へ付いて行くと、何十人もの男女の下人たちが、一石入り釜を五つ六つ並べ、甘(あま)葛(づら)を煎じた汁を釜に注いで、切り口三、四寸、長さ五、六尺の山芋を薄刃の刀で山芋の皮を削っては、なで切りにして釜に放り込んでいた。そして《芋粥》ができると、大きな素焼きの土器で一斗も入る「銀の提(ひさげ)」に粥を掬い入れ、その提を三つ四つ五位の前に据えた。そんな作業場みたいなところを見てしまうと、五位はもう食欲がなくなり、咽喉も通らないと音を上げた。しかし、そんなこんなで五位はひと月ほど利仁の屋敷で楽しく滞在し、京へ戻るときには綾織や鞍を置いた立派な馬まで頂いた。
話の最後には、長年実直に勤め上げる者はこういう得をする、と今に語り伝えられていると結んであった。
☆『芋粥』
こんな話だ。
芥川本の方は序の口が凄い。先ずは、五位という男は軽蔑されるために生まれてきたような風貌風体であるとある。赤鼻、下がった目尻、こけた頬に血色の悪さ、背が低いうえに猫背、風采はもちろん上らない。それに歪んだ揉烏帽子、切れかかった藁草履。さらに同僚からも別れた妻と関係をもったと馬鹿にされたり、五位の分の酒を飲み、その器に尿を入れたりとイジメは続く。これは人間関係が生み出す社会の悪をえぐり出そうとする龍之介の眼が書かせている、といわれている。
後半は『今昔物語集』にしたがっているが、最後は五位が幸せ感をもってくれたようだから、読者はホッと安堵するところである。
その幸福感とは《芋粥》を飽きるほど食べたいという欲望、そして体験後はもう《芋粥》に対する欲望は消えてくれたという幸福感である。
なお、大岡玲先生は1990年に芥川賞を受賞されているから、この2冊は因縁がないでもないと思う。
☆芋粥の再現
ここで「芋粥」とやらを再現しようと思った。
断っておくが、現在では「芋粥」と聞けば、薩摩芋の入ったお粥かと思うだろうが、そうではない。
当時は甑で蒸したものを「飯」といい、釜で煮たものを「粥」といってたから、この話の「粥」とは煮たもの、という意味になる。だから、五位が越前の利仁屋敷で芋粥作りを目にしたとき、米はなかったのである。
そんなわけで、材量は文中にあったように「甘葛」と「山芋」である。山芋はスーパーで購入できる。しかし「甘葛とは、何?」ということになる。
清少納言の『枕草子』には、「あてなるもの」として有名な一文が載っている。
「削り氷にあまづら入れて、あたらしき金鋺に入れたる。」
清少納言は、新しい「金鋺」に入れた、今でいう蜜(甘葛)をかけた掻き氷(削り氷)は、上品で甘くて美味しい、と述べている。
よって、芋粥は、山芋を甘葛で柔らかく煮ればいいこということになる。ところがこの甘葛が手に入らない。なぜなら甘葛なるものが正確に解明されていないから、現存しない。一応、蔦の樹液とする説が一般的で、大学などの実験室で再現されているだけである。
そこで、この類の物が再現されるときは、樹液=メープルシロップが使用されることが多い。そこで私も、山芋を水とメープルシロップで煮てみた。
山芋は、ヌルヌルしているのに、噛めばシャキッとしているという矛盾感触が魅力であるが、煮ると一転して里芋みたいに柔らかくなる。そしてメープルシロップで煮ているから、もちろん甘い。
とにかく、五位がうまい《芋粥》を飽きるほど食ってみたいと願っていた、平安時代の「甘味」、今でいう{スイーツ」が完成した。
さて、器への盛り付けである。料理はここが大事。
『今昔物語集』では、「提」(蓋のない鍋のような金属製の容器に注ぎ口と鉉の取っ手が付いた酒器)、『枕草子』では、「金鋺」(金属製の椀)を使用している。
私は当初、削り氷のように冷たい物は金属製の器がよく合うだろうが、温かい芋粥は木椀がいいだろうと思っていたが、どうやら温かい芋粥も金属製の器を用いるようである。
それからすると、あてなるものというのは、高価な金属製食器に盛り付けるものなんだという風に観方が変わった。
そこで、ちょうど自宅に銀製の盃があったので、それに《芋粥》を盛り付けた。
そして、さっそく頂いた。
「う~ん、甘い(うまい)。」
これが平安朝の、あてなる《芋粥》の風味である。
現代は大量に生産されて安価になった砂糖は悪者扱いだが、昔は甘味は貴重だった。
だから〝甘い〟ことも〝うまい〟と言ったのだろう。
※写真では分かりづらいですが、しっかり汁もあります。
また銀の食器は写真では映えないですね。
(ふりがな)
甘葛=あまづら
提=ひさげ
金鋺=かなまり
鉉=つる
ほし☆ひかる
エッセイスト
江戸ソバリエ協会理事長