第387話 更科蕎麦と秋の江戸野菜を味わう会
更科堀井の会Ⅱから
更科蕎麦+江戸野菜の会 ― 、更科蕎麦というのは江戸蕎麦であるから「江戸という括りで、それを味わう会をやろう」ということで実施してきた「更科堀井の会」がたいへん好評だったため、「更科堀井の会Ⅱ」としてもう一年続けることにした。
料理の会は、先ずは食材だが、そもそも農産物というのは天候に左右されるものである。そのため、江戸野菜研究家の大竹先生は開催まぢかに食材(今回は、秋の江戸野菜)を選ばれる。それをもとに料理研究家の林先生がレシピを考え、そして更科堀井の料理長が作ることになっている。
今日の御献立は次のようなものだった。
御献立
一、 三河島菜 小松菜 しんとり菜のお浸三昧
一、千住葱南蛮漬け
一.滝野川牛蒡の鮭巻蒸し蕎麦つゆ餡掛け
一、馬込三寸人参蓑揚げ海老真薯
一、内藤南瓜掛蕎麦小松菜添え
一、内藤唐辛子切りと十割蕎麦の合盛
○ 千住葱と 内藤唐辛子の生七味 大盤振舞
このようなコース料理は「お品書き」ではなく「御献立」という。「献」は「一献」の「献」、つまりお酒と料理という意味から、コース料理のことを指し、「お品書き」は単品料理のことをいう。
天皇の料理番の秋山徳蔵によると、「御献立」は漢字・仏語・英語で書くのが慣わしだという。対してお店に掲示してある「お品書き」は子供でも読めるようにひらがなが多い。
林先生の料理教室は日ごろから人気が高いが、それは彼女自身が楽しい先生であることにもよるだろう。
それに先生のレシピはセミナー向きである。素材の理解と、その活かし方がレシピに直結していて分かりやすい。
たとえば、《三河島菜 小松菜 しんとり菜のお浸三昧》や《内藤唐辛子切りと十内藤唐辛子切りと十割蕎麦の合盛》は、比較して味わうようなレシピである。
この《唐辛子切り》みたいな蕎麦を《変わり蕎麦》という。「一番粉」よりさらに白い粉「更科粉」が精製されるようになった江戸中期から見られるようになったが、それはおそらく老舗「更科」の登場と関係が深いと思われるが、今では《桜切り》《海老切り》《柚子切り》《蓬切り》《茶蕎麦》など50種以上があって、蕎麦好きの楽しみのひとつである。
献立に戻って、《内藤南瓜掛蕎麦小松菜添え》は、ホッカホッカ系の西洋カボチャとちがって、水気系の「和 南瓜」はいっそのこと汁にした方がいいというわけで、今日の《掛蕎麦》となった。
そういえば、かつての会のとき、天城の山葵は鮫皮の卸器、奥多摩の山葵は金属製の卸器で磨り卸した方がいい」とおっしゃったことがあったが、素材によって、切り方、卸し方の相違を訴求するというのが彼女流である。
そして、料理しない食材の供し方として《千住葱の大盤振舞》が面白い。《千住葱》を切っただけであるが、皆さんがそろって「美味しい」と感嘆された。
大竹先生の話によると、《千住葱》は在来種、対する《千寿葱》や普通の《葱》は交配種であるという。きつくいえば、生産効率を上げるための野菜が交配種、いわばブロイラーというわけである。
同じく大盤振舞の《内藤唐辛子の生七味》も「これだけで酒の肴になる」とばかりに、大好評であった。そのレシピは林先生の企業秘密であろうが、何よりもほとんどの人は乾燥ではなく生の七味というのは初体験であろう。皆さん袋に入れてお持ち帰りになった。
ここでちょっと余談である。「大盤振舞」とは大げさかもしれないが、「食べ放題」という意味に代えて歴史の古い言葉を用いてみた。
元来この言葉は、鎌倉時代に食事を提供して君臣の契りを結ぶ「椀飯振舞」に由来するが、それがいつの間にか「大盤」と書くようになってから意味も変化した。
これに似た、変化の例は幾つかある。
「切れる」。元々は切れ味鋭い日本刀のように頭脳のシャープな人才覚のある人を褒める言葉であったが、今は感情の糸がプツンと切れるといった悪い方で使われるようになってしまった。
「こだわり」。「あんな小さな事にこだわって・・・」という具合に悪い方の例に使っていたが、今は匠や名人への褒め言葉になっている。
というわけで、言葉も時代変化することを味わってほしいとは、後でくっつけた屁理屈である。
エッセイだからといって、屁理屈ばかり並べると何だけど、料理はみんな美味しかった。次回の「冬の野菜」を期待したい♪
〔絵・文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる〕